2015年10月15日 (木) | Edit |
養老孟司著「無思想の発見」ちくま新書より(12)


「自分を創る」作業の典型を、
以前は修行といった。

比叡山の千日行というのがある。
叡山の山中を千日、
たたひたすら走り回る。

それを終えると、大阿闍梨という称号がもらえる。
マラソンの選手じゃないんだから、
お坊さんが山を走り回ったところで、
一文にもならない。

だれに頼まれたわけでもなし、
そんなことをしても、なんの意味もない。
GDPも増えない。

じゃあなんでそんなことをするのか。
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