マハリシの福音(17) …… 自己実現(1)
弟子 どうすれば自己実現できるのでしょうか?
マハリシ 実現というのは、新しく獲得される何かではない。
それはすでにそこにある。
必要なことのすべては「私は実現していない」という想いを
追い払うことである。
静かさあるいは平和が実現である。
自己が存在しないときは、一瞬たりともない。
疑いや非現実という想いがあるかぎりは、
それらの想いを追い払う試みがなされるべきである。
2008-07-31 | 悟り 解脱 道 覚醒 真理に目覚める | コメント : 2 | tb : 0
マハリシの福音(16) …… 自己と個我(3)
アジュニャーニ(無知者)は、スシュプティの内に長くとどまる
ことはできない。彼は自分の性質そのものによって、
そこから出てゆかねばならないからである。
無知のエゴは死なずに、何度も何度も立ち現れてくる。
けれどもジュニャーニは、そのエゴをその源へと打ち砕く。
ジュニャーニにあっても、ときにはプラーラブタ(因縁)に
よるもののように、エゴが現れてくることもある。
ジュニャーニにあってもアジュニャーニと同じく、
すべての外面的な目的のためにプラーラブタが、エゴを保ち、
支えているように見えるかもしれない。
しかしながらそこには根本的な違いがある。
2008-07-30 | 悟り 解脱 道 覚醒 真理に目覚める | コメント : 2 | tb : 0
マハリシの福音(15) …… 自己と個我(2)
マハリシ あなたは、スシュプティ(深い眠り)にあっては
身体と心に関係を持たずにいるが、夢を見ているときや
眼が覚めているときはそれらと関係を結んでいる。
もしあなたが身体と同一のものであるなら、
スシュプティにおいてどうして身体なしにあることが
できようか。
あなたは、あなたにとって外的なものとあなた自身を
分離するすることはできるが、
あなたと同一であるものを分離することはできない。
それゆえに、エゴは身体と同一のものではありえない。
2008-07-29 | 悟り 解脱 道 覚醒 真理に目覚める | コメント : 2 | tb : 0
マハリシの福音(14) …… 自己と個我(1)
弟子 川は海に流れこんでその特性を失います。そのように、
再びこの世に生まれてこなくてすむように、死は人の個我を
溶かすのではないでしょうか?
マハリシ けれども、海水は蒸発して丘の上に雨となって下り、
再び川となって海に流れ下ってゆく。
同じように、個我は眠っている間は個我としての分離性を失って
いるが、そのサムスカーラ(行ない)つまり過去の傾向性に従って、
眼が覚めれば再び個我として帰ってくる。
死にあっても同じである。サムスカーラとともにある人の個我は、
失われることがない。
2008-07-28 | 悟り 解脱 道 覚醒 真理に目覚める | コメント : 2 | tb : 0
マハリシの福音(13) …… バクティ(帰依)とジュニャーナ(知識)(2)
弟子 ジュニャーナとバクティにはどんな関係が
あるのでしょうか?
マハリシ 自己の内に永遠に破られることなく、
自然な状態で在ることをジュニャーナと言う。
自己の内に在るためには、
あなたは自己を愛さなくてはならない。
神は自己そのものであるから、
自己の愛は神の愛である。
それがバクティである。
このようにジュニャーナとバクティは一つにして
同じものである。
2008-07-27 | 悟り 解脱 道 覚醒 真理に目覚める | コメント : 3 | tb : 0
マハリシの福音(12) …… バクティ(帰依)とジュニャーナ(知識)(1)
弟子 シュリ・バガヴァタによれば、
ハートの内にクリシュナを見いだす方法は、
すべてのものの前にひれ伏し、
すべてのものを主御自身とみなすことであると
述べています。
これは自己実現に到る正しい道でしょうか?
心が何に出会おうと、
それをバガヴァンとして拝する方法は、
「私は誰か」という心の問いをとおして、
心を越えたものを求める道よりむずかしいので
はないでしょうか?
2008-07-26 | 悟り 解脱 道 覚醒 真理に目覚める | コメント : 1 | tb : 0
マハリシの福音(11) …… 心の制御(4)
シュリ・バガヴァンが、丘に登っていってしまわれたのは
夕方の五時ごろだったが、そのとき八歳半の少年がひとり
ホールの中に坐っていた。
師が留守の間、その少年はヨーガとヴェーダンタについて、
聖者の言葉や聖典の言葉を自在に引用しながら純粋で単純
な、タミール語で語った。
シュリ・バガヴァンが、四十五分くらいしてホールに入って
こられると、沈黙だけが支配した。二十分もの間、少年は
シュリ・バガヴァンの現前の内に坐り、ひとこともしゃべら
ずにただ師を凝視(みつ)めていた。
やがて少年の眼から涙が流れた。少年は左手で涙をぬぐうと
しばらくして、自分は自己実現をまだ待ちつづけている、
と言い残してその場を立ち去った。
2008-07-25 | 悟り 解脱 道 覚醒 真理に目覚める | コメント : 4 | tb : 0
マハリシの福音(10) …… 心の制御(3)
弟子 ときどき、人々や事物がぼやけて、
夢の中でのようにほとんど透明な姿になることが
あります。
そのときは、それらを外側に認識するのではなくて、
その存在を受身に意識しているのです。
もちろんどんな自我をも能動的には意識していません。
心の内に深い静けさがあります。
人が自己の内に突入するのは、
そのようなときなのでしょうか?
それともこれは不健康な状態で、
自己催眠の結果なのでしょうか?
2008-07-24 | 悟り 解脱 道 覚醒 真理に目覚める | コメント : 2 | tb : 0
マハリシの福音(9) …… 心の制御(2)
弟子 十月にこのアシュラマムを出てからの約十日間
というものは、シュリ・バガヴァンのもとにいたとき
支配していた現前が、私を包みこんでいるのを感じて
いました。
仕事は忙しいにもかかわらず、四六時中ひとつに
結合した平和の意識の流れがありました。
それは退屈な講義を半分眠りながら聞いているときに
経験する、二重意識に近いようなものでした。
しばらくするとその感じはすっかり消えてしまい、
その代わり以前の愚かなことどもがやってきました。
2008-07-23 | 悟り 解脱 道 覚醒 真理に目覚める | コメント : 0 | tb : 0
マハリシの福音(8) …… 心の制御(1)
弟子 どうすれば心を制御できるのでしょうか?
マハリシ 自己を実現すれば、
制御すべき心というものはない。
心が消えたときには、自己が輝き出てくる。
自己実現した人にあっては、
心は活動しているにせよ非活動にせよ、
ただ自己のみが存在している。
心、身体、世界は、自己と分離して
あるものではないからである。
それらは自己と離れては存在できない。
それらがどうして自己以外のものでありえよう。
2008-07-22 | 悟り 解脱 道 覚醒 真理に目覚める | コメント : 2 | tb : 0
寝るなら寝なさいよ
私が診るのは、
医者のように診察するのではありません。
話を聞きながら、精神分析をする。
話を聞きながら、精神分析をしていったら、
こいつ、こうなんです。
大正十五年に一ぺん、おそろしく儲けた。
ところが、昭和五年にガラを食いやがって、
ペシャンコになってしまいやがった。
いいかい。それが、今度はまた、昭和二十年に
儲けたから、またぞろ、昭和五年のときのような、
身代かぎりをするほど損しやしまいかと思うと、
2008-07-21 | 健康法 | コメント : 2 | tb : 0
銭儲けして神経衰弱になった男
ある事柄に対して、そこに観念が加わると、
観念のダブルページというものが発生する。
これもおわかりにならないだろう。
分かりやすく言えばね、悲しいな、と思って泣くでしょう。
よけい悲しくなる。これがダブルページだ。
腹が立った。こん畜生、と思って、やい、なんて言うと、
よけい腹が立つ。反対に、こんどは僅かな喜びを、
非常に大げさに喜ぶと、僅かな喜びは非常な嬉しさになる。
2008-07-20 | 健康法 | コメント : 0 | tb : 0
アイ、アム、クワイトウェルと言え
「病いは病いだ。苦しみは苦しみだ。
病いにかかったといってからに、
心まで病ませる必要はなかろう。
肉体に病いがあろうと、心まで病ませる必要が
どこにあるか。そういうときには、心の方が、
健康なり運命なりをよき状態に作り直して行か
なければならない、
その原動力としての存在なのだから、
それに巻き込まれないようにしなければならない
じゃないか。
お前は巻き込まれどうしだ。
2008-07-19 | 健康法 | コメント : 3 | tb : 0
お前の生き方は間違っているぞ
「われ、いずこより来たり、いずこに行かんとす。
何の事情ありて、この現象世界に人間として生まれ来しや。」
あなた方だったらね。これは決して皮肉で言っているのでは
ない。一ヵ月か二ヵ月で考えるかもしれない。
私は半年かかった。何しろ、私のそれまでにやった学問の中には、
そんな難しい問題を考える知識要素がないんです。
だんだん考えていううちに、魂の夜明けが来ます。
2008-07-18 | 健康法 | コメント : 2 | tb : 0
人間何しにこの世へ生まれて来たか
「そうじゃないかい。お前が一切のことを頼んだとする。
頼んだとおりに、使いなら使いを頼んでからに、
相手の人がそこに行ってくれなかったら、お前、誉めるかい。
重大な用事を頼んで、その人がよそへ遊びに行っちゃって、
お前の用事をしないで帰って来て、よそで遊んでて行かなかった
と言ったとしたら、
『ああ、いいや、いいや、ついでに気のむいたときに行ってくれ』
って言うかい。大事な用事なら大事な用事ほど、面白くないだろう。
2008-07-17 | 健康法 | コメント : 1 | tb : 0
お前は、喜ばねばならないことが一つある
「その病があるからこそ、同じインドに生まれても、
どんな身分の人でも、ヨガの研究をする家に生まれたもの
でなければ、俺のわきには来られないんだぜ。
それを偶然、旅の道連れにカイロでお前に会って、
私はお前をいかにも哀れだと思って、
ここへ連れて来てやった。
お前が学問のない人間なら、俺は連れてこなかった。
偉そうに、文明の都で相当の学問をして、
文明人から見るてェと、優れた人間である証拠の学位まで
持っている人間が、俺の目に映るてェと、
無学文盲の人間にしか見えない。
2008-07-16 | 健康法 | コメント : 3 | tb : 0
その病があるからこそ
ご参考までに、私がインドで先生に言われたことを
お聞かせしましょう。
毎日毎日、体の調子が悪いものだから、
ついつい、眉に八の字をよせて、
笑顔ひとつ出来なかった私にむかって、
「今日はどうだね、」
ときかれる。
「ええ、今日は頭も痛くありませんし、熱もないんですが、
ただ、気が重うござんしてね、」
2008-07-15 | 健康法 | コメント : 2 | tb : 0
とにかく、頭の中を取り替えましょう
いままであなた方。
生まれて始めて天風からこういう話を聞いて
いるんじゃないんだぜ。
天風のような説き方をする人は少ないかも知れないが、
学者や識者の本を読んだ場合にでも、
また、話を聞いた場合にでも、
宗教家のお説法聞いたときにだって、
みんな、一時的には感激したことがありゃしない?
そいつが、この中に(と頭に手をやって話す。)
はいってゃァしないもの。入れないがゆえに、
はいってないんだ。
2008-07-14 | 健康法 | コメント : 2 | tb : 0
消極的な感情・情念とはどんなものか(つづき)
消極的な感情・情念とはどんなものか、
教えてあげるからね。
一番さきが怒ること、
あなた方のもっとも得意とするところだ。
第二は悲観すること。
これも頼まれなくても、しょっちゅうやっている。
第三はやたらと理由なくして恐れること。
第四は憎むこと。
みんなお得意とすることばかりだろう。
第五が恨むこと。
2008-07-13 | 健康法 | コメント : 2 | tb : 0
消極的な感情・情念とはどんなものか
血液には二つの役目があります。
こういうことは小学校の子供でも知っているけれども、
かえって大人が知らないから、大人に言って聞かせる。
血液の一つの役割は、我々の肉体を組織している細胞を
養うために、もっとわかりやすく言えば、
細胞が生きるのに栄養物が必要である。
その栄養物を運ぶ役割である。だから血液は細胞の生命
を支える栄養物の運搬をおこなっている。郵政省だな。
2008-07-12 | 健康法 | コメント : 2 | tb : 0
5 僧団の拡大 The Community (2)
食後ブッダは居合わせた人びとに説法した。
そこにはヤサの母親と妻(ヤサが俗世の絆を断った今は
前妻であるが)がおり、さらに、五十四人のヤサの友人
も居合わせた。
この五十四人も大そう感銘を受けて、全員が僧になりた
いと申し出た。僧団は一挙に六十人にふくれ上がったの
である。
後にこれらの人びとが悟りに達すると、
ブッダは次のように告げたといわれる。
2008-07-11 | 悟り 解脱 道 覚醒 真理に目覚める | コメント : 2 | tb : 0
5 僧団の拡大 The Community (1)
仏教僧になるとは、僧団(サンガ)の一員となることである。
僧団とは、ブッダが規定した戒律に従って生活する修行僧
の組織的団体、一種の修道会である。
五人の苦行者が帰依した後、僧団は急速に拡大した。
五人は熟練した真理の探究者であり、
ガウタマ自身の旧友でもあった。
だからブッダが鹿園で最初の説法をしたとき、すでに帰依
する素地をじゅうぶんもっていたことはいうまでもない。
しかしその後は、一見、宗教生活に対する特別な素地のない
人びとが、日々の生活に明け暮れているうちに偶然ブッダと
出会い、帰依した者の多いことが注目される。
2008-07-10 | 悟り 解脱 道 覚醒 真理に目覚める | コメント : 2 | tb : 0
4 はじめての説法(中道) The Middle Path (4)
〈正命〉とは、私たちが生活の糧を得る際に、ブッダの教えに
反する仕事や活動に従事してはならないということである。
したがってあらゆる欺瞞や搾取、他人に害と不公平をもたらす
ことは、すべて避けられねばならない。
五種類の商品、すなわち武器、生物、肉、酒、毒を商うことは
特に禁じられている。
また、兵士、猟師、漁師といった職業や、高利貸し、売春、
占いも禁じられている。
2008-07-09 | 悟り 解脱 道 覚醒 真理に目覚める | コメント : 0 | tb : 0
4 はじめての説法(中道) The Middle Path (3)
中道を説明するために、
ブッダは五人の弟子に次のように語った。
「出家者が避けなければならない両極端がある。
一つの極端は感情、ことに愛欲のおもむくままに生活すること。
これは下品、野蛮、無益であり、俗世の人びとにのみふさわしい
ものである。
もう一つの極端は自分自身をいためつける苦行である。
いたしたしく、見苦しく、これもまた無益である。」
2008-07-08 | 悟り 解脱 道 覚醒 真理に目覚める | コメント : 2 | tb : 0
4 はじめての説法(中道) The Middle Path (2)
ここで、ブッダの教えの要点を説明しておこう。
仏教の教義は元来、無味乾燥で規則正しい、
ほとんど機械的な言葉で表現されている。
それぞれの要素はきれいに細分、分類されており、
図式化できるほどである。事実、そのように意図
されたものなのである。
ほとんど文献が存在しなかった当時、知識は師から弟子へ、
覚えやすい方法、つまり口頭で伝えられていた。
2008-07-07 | 悟り 解脱 道 覚醒 真理に目覚める | コメント : 0 | tb : 0
4 はじめての説法(中道) The Middle Path (1)
ブッダは布教活動をはじめようとする。
まず最初に誰に教えを説こうか、
いちばん早く理解するのは誰だろうかと自問した。
ブッダの心は、かつての師であるアーラーラ・カーラーマ
にかたむいた。彼はすでに、悟りへの道をはるかに登りつめて
いる賢者であった。
ところが残念なことに、すでにアーラーラ・カーラーマは
この世にいなかった。ブッダは、ラーマの弟子のウッダカ
のことを思い出した。しかし、彼もまた亡くなっていた。
2008-07-06 | 悟り 解脱 道 覚醒 真理に目覚める | コメント : 2 | tb : 0
3 真理の発見(成道) Discovery (5)
ガウタマが長年求めてきた目的に達する時が、
ついにやってきた。
経典に記されているところによると、
その日の出来事は単に象徴的な意味だけでなく、
不思議な静けさと威厳に満ちている。
供物を受け取ると、ガウタマは近くのネーランジャラー川
へ行き、岸辺に器を置いて、沐浴のために川に入った。
それから岸辺にもどってすわり、膝の上に置くと、
仏性(悟り)を求める者としては最後の食事をとりはじめた。
食事を終えると手を洗い、器を水に浮かべて言った。
2008-07-05 | 悟り 解脱 道 覚醒 真理に目覚める | コメント : 2 | tb : 0
3 真理の発見(成道) Discovery (4)
ガウタマは、精神力も試した。新月と満月の夜、
怪しげなものが出没する恐ろしい時刻に、
ひとり墓場に出かけてすわった。
そして、獲物を求めてあたりを徘徊する野獣の
恐怖にもしりごみしなかった。
その間、彼はずっと瞑想を続けたが、
まったく無益であった。
苦行は決して自分を悟りに導かないと気づくまでに、
ガウタマは六年の歳月を費やしたのであった。
2008-07-04 | 悟り 解脱 道 覚醒 真理に目覚める | コメント : 2 | tb : 0
3 真理の発見(成道) Discovery (3)
やがて、彼らはウッダカ・ラーマブッタという、
もうひとりの有名な師に出会った。
ウッダカは、アーラーラより一歩進んだ瞑想の
修行を説く学派の指導者であった。
これは〈知覚でも非知覚でもない状態〉
〈非想非非想処〉と呼ばれ、この学派の創始者
であるラーマによって達成されたと言われていた。
しかし、ラーマが師の直前に弟子たちをゆだねた
ウッダカでさえ、まだその境地に到達しようと
努力している最中であった。
2008-07-03 | 悟り 解脱 道 覚醒 真理に目覚める | コメント : 2 | tb : 0
3 真理の発見(成道) Discovery (2)
当時も今も、悟りを求める者がまず最初にすることは、
師(グル)を探すことであった。
カースト制度によって社会が厳しく秩序づけられていたため、
人々は自分の地位に応じて多くの複雑な義務をになっていた。
それにもかかわらず、実際の宗教的知識の授受は、
主に個人の主体性にゆだねられていた。
公式に認められた教育機関もなく、たとえば、キリスト教の
主な宗派に見られるような明確な聖職位階制度もなかった。
2008-07-02 | 悟り 解脱 道 覚醒 真理に目覚める | コメント : 5 | tb : 0
マハリシの福音(7) …… 沈黙と孤独
弟子 沈黙の誓いは有効でしょうか?
マハリシ 内なる沈黙は自己放棄である。
それはエゴの感覚をなくして生きることである。
弟子 サンニャーシン(遊行者)にとって、
孤独は必要なものでしょうか?
マハリシ 孤独は、人の心の内にある。
人が、世間のただなかにありながら完全な平和を
維持することができるなら、その人はつねに孤独
の内にある。
ある人は森に住むが、その心を制御することが
できない。彼は孤独であるとは言えない。
2008-07-01 | 悟り 解脱 道 覚醒 真理に目覚める | コメント : 2 | tb : 0
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