他人は自分の鏡
人が自分に非協力的だ、
と嘆く人は少なくない。
とくに身内に足を引っ張られる、
と思うことがよくある。
妻子や仲間、友人たちが、
肝心なときに妨げになるーーと。
2007-03-31 | 癒し・ヒーリング | コメント : 0 | tb : 0
人とうまくやる決め手
アメリカ建国の父といわれるフランクリンは
思慮深い温厚な人柄で知られるが、
若いときはけっこう傲慢で生意気だったらしい。
そのことをある人から指摘された彼は、
自分の態度を次のように大転換した。
「私は他人の意見に真っ正面から反対したり、
自分の意見を何がなんでも押し通そうという態度を
一切慎むことにした。
2007-03-30 | 癒し・ヒーリング | コメント : 0 | tb : 0
他人の利益
経営者は座右の銘が好きだが
「他人の利益を図らなければ自己の繁栄はない」
と言い続けてきた人が、ファスナー王と呼ばれた
吉田忠雄さんである。
吉田さんには有名な話がある。
戦後まもなく日本のファスナー業界は
群雄割拠していた。
吉田さんはアメリカで高性能機械ができたことを
知った。
2007-03-29 | 癒し・ヒーリング | コメント : 4 | tb : 0
マルクス・アウレリウスの名言
ローマの哲人皇帝マルクス・アウレリウスの
以下の言葉は現代人に語ってもけっして色あせない
名言である。
何かするとき、
いやいやながらするな。
利己的な気持ちからするな。
無思慮にするな。
心に逆らってするな。
君の考えを美辞麗句で飾り立てるな。
よけいな言葉や行いを慎め。
2007-03-28 | 癒し・ヒーリング | コメント : 4 | tb : 0
大胆に模倣せよ
アンソニー・ロビンスは「成功したければ
成功した人の模倣をせよ」という。
「まね」と聞いただけで「ウヘッ」と
顔をしかめる人がいるかも知れない。
だがリクルートスーツを着るのも、
一流企業へ入りたがるのも、
格言を読むのも、
要するに先人たちのまねをしようとしている
ことではないか。
2007-03-27 | 癒し・ヒーリング | コメント : 6 | tb : 0
「心にないこと」などない
お世辞で「心にないこと」を
いう場合がある。
子供の写真を見せられて、
「かわいいお嬢ちゃんですね」
内心ではそう思っていない。
こういうことがあるから、
お世辞を嫌う人がいる。
だが、この見解はちょっと浅はか
ではないか。理由は三つある。
2007-03-26 | 癒し・ヒーリング | コメント : 7 | tb : 0
成功のキーワード
二十五年の長きにわたり「人間の成功」について
研究したナポレオン・ヒルがたどりついた結論は
極めてシンプルなものだった。
彼はこういっている。
「成功を手にするために必要なものはたった一つ、
それは健全なものの考え方である」
2007-03-25 | 癒し・ヒーリング | コメント : 0 | tb : 0
子を知る親に若かず
「私という人間を一番理解しているのは、
母親だと私は信じている。母親が一番私を
愛しているからだ。
愛しているから私の性格を分析してみることが
無用なのだ。私の行動がたどれないことを
少しも悲しまない。
2007-03-24 | 癒し・ヒーリング | コメント : 2 | tb : 0
感覚を超えた世界
六不収(りっぷしゅう)は、中国の雲門和尚に、
ある僧が「法身とはどんなものか」と訊ねたとき
の答えである。
ここで「法身」の「法」はダルマ・真理のことなのだが、
つまり真理を体現した体とはどんなものかと訊かれ、
雲門和尚は「六識には収まりきれないもんじゃ」と
答えたというのである。
2007-03-23 | 仏教 無我 禅 公案 臨済 道元 | コメント : 2 | tb : 0
第六感
タマの話で恐縮だが、
タマは寝ているときでも人が
その前に立つとすぐに眼を開けた。
べつにこれは、その人の体温や風の動きを
タマの皮膚が感じるとか、あるいは鼻が匂いを
感じるだけではなかったような気がする。
というのは、スヤスヤ寝ていたくせに、
悪戯心で手を振り上げたりするとすぐに
眼を開くからである。
2007-03-22 | 仏教 無我 禅 公案 臨済 道元 | コメント : 2 | tb : 0
鼻毛を一本抜いた痛さ
仏教では「眼、耳、鼻、舌、身、意」の順番で
社会性が強いと認識している。
つまり眼で見る姿、耳で聞く音、鼻で嗅ぐ香り
の順番で一般化しやすいということだ。
鼻で嗅ぐ香りの個人差よりも耳で聞く音のほうが
まだ大勢に共通しているし、眼で見るものは最も
個人差がでにくく世間に通用しやすい。
2007-03-21 | 仏教 無我 禅 公案 臨済 道元 | コメント : 3 | tb : 0
妄想が我々の心を悩ます
よく「ありのまま」なんて言葉を聞くけれど、
転換前の我々の心は全く勝手なもので、
興味がなければ姿さえ目にとまらないこともある。
逆に興味津々だとその部分だけ明瞭に
見えたり感じたりする。
モンシロチョウの雄と雌は人間には同じように
見えるが、お互いどうしではまったく違った色に
見えると聞いたことがある。
2007-03-20 | 仏教 無我 禅 公案 臨済 道元 | コメント : 3 | tb : 0
大死一番絶後に再び蘇る
だから一貫して心をバカにするというより、
さまざまな記憶の残像によって汚れた心を
バカにしつつ、
仏性などと呼ばれる清らかな心に辿り着こう
とするのである。つまり質的に転換を遂げた
身心は、禅だって重視するということだ。
西田幾多郎は全集第八巻の「行為的直観の立場」
において、「自己がなくなることで同時にそこから
自己が生まれることである」とそのことを表現するが、
2007-03-19 | 仏教 無我 禅 公案 臨済 道元 | コメント : 4 | tb : 0
「身心脱落」「脱落身心」
江戸時代の盤珪禅師は庶民への布教に尽瘁(じんすい)
した方だが、よくおっしゃったのは「嫁・姑」の
不仲のことだ。嫁がなにをした。姑がなにをした。
今なにかをしたから憎いんじゃなくて、
これまでの記憶が憎いんじゃろ。
あんたがあんたのなかの記憶を憎んでいるだけ
じゃないか、と繰り返しおっしゃったのである。
2007-03-18 | 仏教 無我 禅 公案 臨済 道元 | コメント : 2 | tb : 0
心に心を許さない
普通に「心」という場合、やはり喜怒哀楽
という感情を指すことが多い。
これらを私は一次感情と呼ぶが、
じつは人間にはもっと複雑な感情がある。
つまり意識的・無意識的とを問わず、
人間は感情の残り香を記憶として
蓄積していく動物だから、
もっと複雑に練り上げられた感情を
もつこともできるのである。
たとえば憎しみ、たとえば怨み。
2007-03-17 | 仏教 無我 禅 公案 臨済 道元 | コメント : 0 | tb : 1
セーレン・キルケゴールの寓話
和尚エンタープライズジャパンより (12)
そして、なにをやろうとも、
それは勇気から来ている。
もし彼が「イエス」と言うとしたら、
彼は勇気から、存在への愛から、
「私はこの全体の一部であり、
かけ離れてはいない」
という深い理解からそう言っている。
2007-03-16 | 悟り 解脱 道 覚醒 真理に目覚める | コメント : 2 | tb : 0
無神論はつねに臆病だ
和尚エンタープライズジャパンより (11)
ひとつの物語に耳を傾けてほしいーー。
ある日のこと、ひとりの無神論者が絶望の縁を
歩いていて足を滑らせ、縁から落ちた。
落ちながらも、彼は岩の割れ目から生えていた
小さな枝になんとかつかまった。
そこにぶら下がり、冷たい風に吹かれて揺れながら、
彼は自分の立場がどうしようなく絶望的だということが
わかった。
下を見てもごつごつした岩ばかりで、
上には登りようがなかった。
枝につかまった手からは力が抜けかけてきた。
2007-03-15 | 悟り 解脱 道 覚醒 真理に目覚める | コメント : 4 | tb : 0
信じることとはなんだろう?
和尚エンタープライズジャパンより (10)
では、信じることとはなんだろう?
信じることは愛の副産物だ。
愛し方を知っている者にしか、
どうやって信じればよいのかはわからない。
愛はハートから湧き起こる。信仰もそうだ。
疑いは頭のなかで生じる。恐怖もそうだ。
頭のなかで生きる人物は臆病者でありつづける。
実際には、臆病だからこそ頭のなかに住んでいる。
ハートに向かって動くのを恐れている。
ハートが自分をどこに連れて行くのかは
誰にもわからないからだ。
2007-03-14 | 悟り 解脱 道 覚醒 真理に目覚める | コメント : 8 | tb : 0
疑いは恐怖から生じる
和尚エンタープライズジャパンより (9)
初めのうちは、信頼はひとつのフィーリングだ。
その最後の開花においては、実存だ。
いわゆる信仰は頭のなかにとどまる。
それはけっしてあなたのフィーリングにはならない。
そしてあなたの実存にはなれない。
が、なにかがあなたの「実存」にならないかぎり、
それは観念的な夢にすぎない。
それはエネルギーの浪費だ。
2007-03-13 | 悟り 解脱 道 覚醒 真理に目覚める | コメント : 5 | tb : 0
信じるハートがあなたにあれば
和尚エンタープライズジャパンより (8)
ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』のなかに、
このすばらしい一節がでてくるーー。
女王はアリスに、
信じられない世界のなかに立っているアリスに言った。
「あえて言わせてもらいましょう。
あなた、あまり慣れていないようね。
なぜって私、ときには朝ごはんの前ですら、
ありえないことを六つは信じたものよ!」
2007-03-12 | 悟り 解脱 道 覚醒 真理に目覚める | コメント : 7 | tb : 0
これは不思議な物語だ
和尚エンタープライズジャパンより (7)
今日、私たちが入って行こうとしている物語は、
もっとも偉大な物語のひとつだ。
それには、スーフィーの物語にしかありえない、
あの独特な香りがある。
それと比較できるものはほかにない。
もし、この物語を理解できたら、
あなたは宗教の秘密そのものを理解したことになる。
もし理解できなかったら
あなたは宗教をまるで理解できないだろう。
2007-03-11 | 悟り 解脱 道 覚醒 真理に目覚める | コメント : 4 | tb : 0
生そのものが教師になる
和尚エンタープライズジャパンより (6)
「あなたの生涯はどのようなものだったのですか?」
と彼らはたずねた。
「私は河に飛び込み
漁師になり
それから、葦で葺いた小屋を真夜中に抜け出した。
その後、私は作男になった。
2007-03-10 | 悟り 解脱 道 覚醒 真理に目覚める | コメント : 2 | tb : 0
それを生きることでしか あなたはそれを知ることにはならない
和尚エンタープライズジャパンより (5)
ほどなく彼は光明の疑いようのない兆しを見せ始めた。
彼は病人を癒し
ひまなときには店の仲間に仕え
神秘についての彼の知識はますます深まっていった。
2007-03-09 | 悟り 解脱 道 覚醒 真理に目覚める | コメント : 11 | tb : 0
あなたは信頼の道を学ぶためにここにいる
和尚エンタープライズジャパンより (4)
モスルで彼は革商人として知られるようになったが
商いに精を出した三年の間
ヒドゥルには一度も会わなかった。
2007-03-08 | 悟り 解脱 道 覚醒 真理に目覚める | コメント : 4 | tb : 0
私は内なる意識の流れについて話している
和尚エンタープライズジャパンより (3)
モジュッドはすぐに小屋を立ち去り
漁師の服を着たままさ迷い歩いて行くうちに
本道に出た。
2007-03-07 | 悟り 解脱 道 覚醒 真理に目覚める | コメント : 6 | tb : 1
信仰はハートから育つ
和尚エンタープライズジャパンより (2)
約束の日に、モジュッドはヒドゥルに会った。
すると、ヒドゥルが彼に言った。
「着ているものを脱ぎ、流れに身を投じるがいい。
おそらく誰かがお前を助けてくれるだろう」
モジュッドは、自分でも狂っているのではないかと
いぶかりながらも、その通りにした。
2007-03-06 | 悟り 解脱 道 覚醒 真理に目覚める | コメント : 6 | tb : 0
不可能なことを信じることで その不可能なことが可能になる
和尚エンタープライズジャパンより (1)
「今日、私たちが入って行こうとしている物語は、
もっとも偉大な物語のひとつだ
それには、スーフィーの物語にしかありえない、
あの独特な香りがある
それと比較できるものはほかにない」
2007-03-05 | 悟り 解脱 道 覚醒 真理に目覚める | コメント : 5 | tb : 0
一切はただ心が造るもの
一切唯心造 新訳「華厳経」
(一切はただ心が造るもの)
前節で「体」と「心」と「意識」というふうに
分けて申しあげたが、最も悩ましいのが「心」
だと云えるだろう。
「心」と「意識」の区別は難しいかもしれないが、
どうしようもないのが「心」で、どうにかできるのが
「意識」と考えることは可能だろう。
そして「心」にアプローチするための手がかりが
「意識」なのである。
2007-03-04 | 悟り 解脱 道 覚醒 真理に目覚める | コメント : 5 | tb : 0
アクビ指南
たとえば普通は、疲れたからアクビが出たと考える。
そして早く寝ようなどと思うわけだが、
禅的には少し違った考えかたをする。
アクビによって脳内の酸素が著しく補われ、
リラックスして心身ともに気持ちよくなったり
するわけだから、
アクビを意識的にしてみたらどうか、
なんて思ちゃうのである。
2007-03-03 | 悟り 解脱 道 覚醒 真理に目覚める | コメント : 3 | tb : 0
決めつけてはいけない
無可無不可「論語」
(可もなし不可もなし)
日本語で「可もなし不可もなし」といえば、
たいていは特に優れているわけではないけれど
特別ひどいわけでもない、
もっと簡単に言うと「まあまあである」、
というような意味で使われる。
しかしこれが禅で使われる場合はまったく違う
意味なので注意してほしい。
2007-03-02 | 仏教 無我 禅 公案 臨済 道元 | コメント : 9 | tb : 0
センスとは何か
理由はよくわからないが「センスがない」
といわれると、ひどく傷つけられた気持ち
になりはしないか。
そのことで自分より劣ると思われる人間から
いわれてもいやな気がする。
どうやらセンスとは感性や才能の根幹に
触れるもののように思える。ではいったい
センスとは何なのだろうか。
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