最後まで消えない人間の業
人は、定年で会社をやめるとき、
「今まで会社のために一生懸命働いてきたけど、
はたしてそれは何であったのだろう」
と思う。会社をやめたときに、初めて気がつくのである。
同じことを思う機会はあと一回あって、
それは死ぬ前である。
「懸命になって駆け抜けてきた一生だったけど、
自分はいままで何をしてきたんだろう」
2006-08-31 | 人生哲学 | コメント : 4 | tb : 0
読むたびに発見のある『徒然草』
高校時代に『徒然草』のつぎの段の冒頭を読んで
思いあたることがあったはずである。
私もまったくそうだった。
第一八九段
ーー今日はその事なさんと思へど、あらぬ急ぎ先づ出てきて
紛れ暮らし、待つ人は障りありて、頼めぬ人は来たり。
頼みたる方のことは違ひて、思い寄らぬ道ばかりは叶いぬ。
煩わしかりつる事はなくて、易かるべきことはいと心苦し
2006-08-30 | 人生哲学 | コメント : 5 | tb : 0
思いがけないのは死の時期である
ーー思い懸けぬは死期なり。今日まで遁れ来にけるは、
ありがたき不思議なり
ー思いがけないのは死の時期である。
きょうまで死をのがれて来たというのは、
じつに珍しくて不思議なことである 〈第一三七段〉
ーー暫しも世をのどかに思いなんや
ーほんのわずかでも、人生をのんびりと考えることが
できようか 〈第一三七段〉
2006-08-29 | 人生哲学 | コメント : 8 | tb : 0
春の日の雪仏
われわれは毎日あくせく働いては、金を稼ぎ
自分の家を建てようとしているわけで、
ちっぽけな建売り住宅のローンが払い終わったときは
定年を迎えることになる。死期をまじかにひかえて、
「いったい自分の一生はなんのためであったのだろう」
振り返るのである。
2006-08-28 | 人生哲学 | コメント : 5 | tb : 0
成就しない恋こそ至上の恋
ーー万(よろず)の事も、初め・終わりこそおかしけれ。
男女の情も、ひとへに逢い見るをば言うものかは
ーすべてのことも、始めと終わりがとくにおもしろい。
男女の間の恋愛も、いちずに成就することだけを
恋というものだろうか 〈第一三七段〉
兼好は、「成就しない恋」こそ、情趣がある至上の恋
だという。恋は成就してしまった瞬間に現実となり、
幻想の豊かさが喪失してしまう。
2006-08-27 | 人生哲学 | コメント : 2 | tb : 0
移ろうものに目を向けよ
兼好の無常観から生まれた「もののあわれ」が、
独自の美意識につながっていく過程は、
季節の移ろいや風景について語るときによくわかる。
十九段、冒頭。
ーー折節(おりふし)の移り変わるこそ、ものごとにあわれなれ
ー季節が移りかわるのは、何事につけてもしみじみと情趣が深い
2006-08-26 | 人生哲学 | コメント : 4 | tb : 0
世は定めなきこそいみじけれ
ーー世は定めなきこそいみじけれー〈第七段〉
ー人の命は定まっていないからこそ趣があるのだ
兼好は、無常について語ると同時に、
その無常をはっきりと自分の運命として肯定する。
無常であるからこそ、人生は趣があるのだ。
兼好にとって、無常とは仏が人に与えた掟であると
同時に、人間が享受する価値観でもあった。
兼好は、第七段でこう続ける。
2006-08-25 | 人生哲学 | コメント : 8 | tb : 0
命は人を待つものかは
兼好は、『徒然草』で、
無常についてくりかえし語っている。
『徒然草』全篇を通貫しているテーマが無常なのである。
「われわれの人生は、いつも死と隣り合わせである」
この、ともすれば現代では忘れられがちな事実を、
兼好は幾度もくりかえす。
彼が生きた戦乱につぐ戦乱の時代を考えれば、
それは当然のことだろうが、
「無常」は現代のわれわれにとっても
まったく同じ現実なのである。
2006-08-24 | 人生哲学 | コメント : 4 | tb : 0
生を受けた以上心願を貫け
対談 生きることは燃えることなり ――森 信三/平澤 興〈8〉
森 先生のお話をお聞きしていると、
まさに情熱と感動をもって、
燃えておられる。
その情熱がどこから来るかというと、
一つはやはり遺伝ですな。
二つが逆境というか、どれだけ苦労してこられたか。
やはり、情熱が激発するような刺激を受けとらな、
だめですね。
苦労というバネが情熱を燃やさせるんですね。
2006-08-23 | 人生哲学 | コメント : 8 | tb : 0
人間が人間であることは無限
対談 生きることは燃えることなり ――森 信三/平澤 興〈7〉
平澤 私はいまこの世の中に生きているというか、
これは全く不思議そのものだと思います。
人間は三十数億年前に地上に現れた原始的生物が
進化に進化を続けてできた素晴らしい存在で、
地上のみならず、全宇宙でも最高の生命ですね。
こういう過程はいまは大体わかるんですが、
しかし、その変化を起こす元の力はなにか
ということになるとね、わからないんです。
2006-08-22 | 人生哲学 | コメント : 6 | tb : 0
短所しか見えない人は成長が止まっている
対談 生きることは燃えることなり ――森 信三/平澤 興〈6〉
森 私の好きな四国の坂村真民という人の詩に、
こんな詩があります。
『リンリン』という題でね。
燐火のように
リンリンと
燃えていなければならない
鈴虫のよううに
リンリンと
訴えていなければならない
禅僧のように
リンリンと
鍛えていなければならない
梅花のように
リンリンと
冴えていなければならない
2006-08-21 | 人生哲学 | コメント : 10 | tb : 0
生きるとは燃えることなり
対談 生きることは燃えることなり ――森 信三/平澤 興〈5〉
平澤 人間、燃えるってことが一番大事なんですね。
大抵は、ちょっと物を知ったりすると、
もう燃えなくなる。燃える力がなくなる。
・・・燃えるといっても、その燃え方は性格や年齢、
また経験によって、いろいろですがね。
春の海のような親鸞やミレーのような燃え方もあれば、
日蓮やベートーベンのような嵐のような燃え方もある。
2006-08-20 | 人生哲学 | コメント : 4 | tb : 0
母親の影響は父親の二倍
対談 生きることは燃えることなり ――森 信三/平澤 興〈4〉
平澤 結局、基本的には人間はみな天才になり得る
可能性があるんですよ。しかし、それにはやっぱり、
先生とか親とかね。そういう機会がなければね。
森 ごもっとも。
平澤 脳の表面に心の本部があるんだが、
そこだけで約百四十億の神経細胞がある。
これはエコノモーという人が本当に計算したんです。
そういう素晴らしい頭をみんな生まれながらに持ってる。
しかし不思議なことに、いかなる天才もまだこの
百四十億の細胞を全部利用した人は一人もいない。
2006-08-19 | 人生哲学 | コメント : 6 | tb : 0
「わかる」と「わっかったつもり」
対談 生きることは燃えることなり ――森 信三/平澤 興〈3〉
平澤 一枚の標本のスケッチに三か月かかりました。
・・・そういうふうにして見ていくと、実際の標本では、
世界一の参考書にも書いてないわからぬことが、
二十ヶ所も三十ヵ所もあるということがわかったのです。
つまり、世界一の参考書ですから、
すべて書いてあるかというとそうじゃない。
書いてあるのはそれまでわかったことだけで、
後はごまかしてサーッといってるんです。
2006-08-18 | 人生哲学 | コメント : 4 | tb : 0
モナコフ先生のひと言
対談 生きることは燃えることなり ――森 信三/平澤 興〈2〉
平澤 私は二十七歳のときに、二年ほどスイスのチューリッヒ大学の
脳解剖学研究所と、ドイツ・ミュンヘンのドイツ精神神経学研究所へ
留学したが、そのときのモナコフ先生とシュピルマイヤー先生。
私はモナコフ先生のところに一年おって、
あとドイツのシュピルマイヤー先生のところへ行ったんですが、
先生は初対面の挨拶のときに、
普通ならシュピルマイヤーって続けるんだが、それをわざと切って、
私はシュピール・マイヤー。シュピールはプレイです。
マイヤーは太郎・次郎です。要するに、自分の名前をしゃれてね、
自分はプレイボーイっていう名前だ、とおっしゃったんです。
2006-08-17 | 人生哲学 | コメント : 3 | tb : 0
事を成すのは誠実である
対談 生きることは燃えることなり ――森 信三/平澤 興〈1〉
平澤 私は人間が真に事をするにはただ秀才、
鈍才というような能力だけではなくて、
むしろそれよりも大事なものがあるのではないかと思います。
それは人柄です。その人柄のうちでも、
なにが一番大事かというと、
どうも誠実ということかと思います。
「誠実ということだけではいかんよ。そう簡単ではないよ」
といわれる方もいますが、大局的に長い目でみますと、
やはり、誠実な人柄が最も伸びるんではなきかと思います。
2006-08-16 | 人生哲学 | コメント : 4 | tb : 0
無と空という知恵
これでやっと空の説明ができる。
意識が立てるのは、根本的には秩序である。
ところが秩序はかならずゴミを出す。
だから全体としてみれば、
「何か起こったようでいて」、
じつは「なにも起こっていない」。
ゴミを含めた全世界のトータルは、
つねにゼロだからである。
2006-08-15 | 日本人論 無宗教 無思想 無哲学 養老孟司 | コメント : 0 | tb : 0
日本思想は仏教思想だとなぜいわない
有名な「色即是空」の「空」は、
ゼロでいうなら、
「数はないが、数字の一つ」
と同じ意味であろう。
「無」はゼロの「数がない」
というほうの意味である。
だからこそ、
「是故空中無色無受想行識(これゆえ空のなかには
色なく受想行識もない)」
とあるので、「空のなかには」というのだから、
「空」はある。しかしそこには、「色」つまり感覚も、
「受」、つまり感覚入力も、概念も行動も意識も「無」、
つまり「ない」。
2006-08-14 | 日本人論 無宗教 無思想 無哲学 養老孟司 | コメント : 6 | tb : 0
「般若心経」こそ無思想の思想そのもの
いったい無思想という日本の思想は、
どこから来たのだろうか。
それが日本独自のものでないなら、
世界に味方が見つかるはずである。
これについて、ちょっと考えてみると、
だれでも思い当たることがあるのではなかろうか。
日本語では「無」という言葉は、
じつは頻用されるからである。
2006-08-13 | 日本人論 無宗教 無思想 無哲学 養老孟司 | コメント : 4 | tb : 0
「形を重んじる」のは思想がないから
日本に思想はないというこを考えていくと、
さまざまな日本的特質の説明ができる。
日本人が「形を重んじる」のは、
思想がないからである。
形に思想はいらない。
しかし形は動かしがたい。
同時に形は目に見えるから、
それは現実だと思われやすい。
こうして司馬遼太郎の日本論は、
『この国のかたち』(文春文庫)になった。
2006-08-12 | 日本人論 無宗教 無思想 無哲学 養老孟司 | コメント : 3 | tb : 0
「2ちゃんねらー」も無思想という思想
日本人はたいてい無宗教、
無思想、無哲学だと主張する。
それが日本の宗教、日本の思想、
日本の哲学である。私はそう思う。
これはなかなか合理的な考え方である。
宗教、思想、哲学といった類のものを
無理して持たなければ、とくに考える必要も、
ぐあいの悪いところを訂正する必要もない。
2006-08-11 | 日本人論 無宗教 無思想 無哲学 養老孟司 | コメント : 2 | tb : 0
日本人は無宗教、無思想、無哲学
なぜ日本人は「自分には思想はない」
と思いたがるのか。
一つには、それが謙虚な態度に見えるからであろう。
世間で生きていくには、謙虚に見えることは、
処世術として大切なことである。
もう一つは、「自分に思想はない」と思ったときから、
それ以上、思想について考える必要が
なくなるからであろう。
考えるというのは億劫なもので、
それこそあれこれ考えるくらいなら、
「やってしまったほうが早い」。
2006-08-10 | 日本人論 無宗教 無思想 無哲学 養老孟司 | コメント : 8 | tb : 0
俺には思想なんてない
ここまで、
「自分とは、なんだろうか」
という疑問について考えてきた。
「自分探し」の若者ならともかく、
この世間で働いて生きてきた人であれば、
そんなことを考える暇があったら、
もっと違ったことを考える。
考えると思う。
いまの上役が気に入らないから、
なんとかならないかとか、
給料が安いじゃないかとか、
女房と喧嘩したけど、
どう始末をつけるかとか、
これからなにをしたら儲かるか、とか。
2006-08-09 | 日本人論 無宗教 無思想 無哲学 養老孟司 | コメント : 0 | tb : 0
比叡山の千日行
「自分を創る」作業の典型を、
以前は修行といった。
比叡山の千日行というのがある。
叡山の山中を千日、
たたひたすら走り回る。
それを終えると、大阿闍梨という称号がもらえる。
マラソンの選手じゃないんだから、
お坊さんが山を走り回ったところで、
一文にもならない。
だれに頼まれたわけでもなし、
そんなことをしても、なんの意味もない。
GDPも増えない。
じゃあなんでそんなことをするのか。
2006-08-08 | 日本人論 無宗教 無思想 無哲学 養老孟司 | コメント : 5 | tb : 0
現代は極端に経験不足の時代
昔のように、お姑さんが、
「この家では、こうするんです」
と理も非もなく教え込めば、
嫁は反発するであろう。
反発すれば、考えるようになる。
しかし、私の育った時代からすでに、
「子どもには個性がある、個性があるんだから、
それにふさわしい教育をすべきだ」
という世界になった。
だから子どもを「自由」にさせておくわけで、
それで育った大人に明確な自分が「できている」
はずがない。
2006-08-07 | 日本人論 無宗教 無思想 無哲学 養老孟司 | コメント : 5 | tb : 0
他人が見る自分こそが自分
いわゆる自分、ふつうの自分は、
自己の内部で閉じているのではない。
世間に開いている。
その世間が不安定化すれば、
自分は不安定になる。
それが現代日本で起こっていることであろう。
いまではそれを「不安」などと呼ぶのであろう。
2006-08-06 | 日本人論 無宗教 無思想 無哲学 養老孟司 | コメント : 0 | tb : 0
人間ほど不思議なものはない
八十歳になっても人間の成長はこれからである ――平澤 興〈8〉
平澤 みなさんは人間が立つこと、歩くこと、
そんなことは当たり前のことだと思われるかも
しれないが、決してそうじゃないのです。
このことを完全に説明できる人は、
まだ世界中に一人もいないのです。
私も四十年も研究してやっとこれが、
不思議中の不思議ということがわかったのです。
内臓なんかもね、全部、われわれの知らない間に
動くんですね。簡単に生きるなどといえますが、
本当は、外からただで酸素をもらったり、
また体内の内臓などの自動的作用などによって、
文字通り生かされておるんです。
2006-08-05 | 人生哲学 | コメント : 2 | tb : 0
運というもの
八十歳になっても人間の成長はこれからである ――平澤 興〈7〉
平澤 まあ、そういう面で、
しみじみと私はいい先生を持ったなぁ、
と思います。
私の恩師は、私の表面に出ている、
要領の悪さとか、
不器用さとかそういうものは見ず、
むしろそのうしろにある、私の情熱とか、
真面目さとかいうものを読んでくれました。
2006-08-04 | 人生哲学 | コメント : 7 | tb : 0
裏までみえる誉め方
八十歳になっても人間の成長はこれからである ――平澤 興〈6〉
平澤 それでね、私はね、予定していた話を
変えて申しました。
「実は今日、新郎と初めてお会いしたが、まず、
自分の顔を持っておられることを嬉しく思いました。
要領が悪いというようなお話もあったが、いかにも、
私の若いときのことをいわれているような気がします。
私は四十年間、筋運動の研究をやってきたので、
笑っておっても、怒っておっても、
その人の本来の表情がよくわかりますが、その点、
今日の新郎はいかにも素晴らしく私は心をうたれている。
2006-08-03 | 人生哲学 | コメント : 6 | tb : 0
誉めることは難しい
八十歳になっても人間の成長はこれからである ――平澤 興〈5〉
ーー先生の話をうかがっていると、
人を育てる秘訣は批判することより、
誉めることにありそうですね。
平澤 そうです。だが、
誉めることがいいといっても、
難しいのはその誉め方ですね。
このね、誉め方というのは、やっぱり、
自ら鍛えた人でないとだめですね。
子どもは叱るより、
誉めたほうがいいといわれるが、
大抵の親は誉め方をよく知らない。
2006-08-02 | 人生哲学 | コメント : 3 | tb : 0
愚かさは力なり
八十歳になっても人間の成長はこれからである ――平澤 興〈4〉
ーー生きるとは燃ゆることなり、
というのが先生の信条ですね。
平澤 そうです。生きるとは、
情熱をもって燃えることだと思います。
燃える心を忘れているような生き方は、
気の毒な生き方ではないでしょうか。
ーー“人を燃やし、喜びを与えていくことが
最高の生き方であります”と先生はいっておられる。
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