何か一つだけでもいい
なんと多くの方が坂村真民さんの詩に
慰められ、励まされしたことでしょう。
ろくろくもそのひとりです。
好 き
好きになれ
好きになれ
何でもよい
好きなものを
見つけることだ
わたくしは
走ることが好きです
と言う
高橋尚子さんのように
2006-07-31 | 癒し・ヒーリング | コメント : 3 | tb : 0
教育とは火をつけること
八十歳になっても人間の成長はこれからである ――平澤 興〈3〉
平澤 だから、三日も四日も考えて、
「どうも先生のいわれることがわかっているようで、
わからん」と質問に行くわけですね。そうすると、
怠け者の先生は、
「湯川、そんなことまで知らんでもいい。
わしが教えたところまでわかれば、それでいい」
とこういわれる。
森先生はそうじゃない。先生は
「そうか、湯川、おまえそこまで考えたか。
たいしたもんだぞ」と。
2006-07-31 | 人生哲学 | コメント : 2 | tb : 0
仕事が道楽になれ
八十歳になっても人間の成長はこれからである ――平澤 興〈2〉
私の京大の先生に、足立文太郎先生という方がおられた。
血管に関する研究では文字通り世界一の学者です。
この先生なんかは、全く仕事を楽しみにしておられた。
飲ん兵衛で酒はこの上なくお好きだが、
酔うてくるほどにいよいよ、学問の話。
それが説教じゃない。
楽しんで話をしておられるから、聞く方も、
落語を聞くように楽しい。聞くときは楽しいが、
さて、後になってみるとジーンと体にくるのですね。
2006-07-30 | 人生哲学 | コメント : 6 | tb : 0
長寿の人の共通ファクター
八十歳になっても人間の成長はこれからである ――平澤 興〈1〉
ーー先生は八十五歳とお聞きしていますが、
肌の色はいいし、非常に若々しいですね。
平澤 ああ、そうですか。
まあね、毎日退屈しないで楽しんで生きています。
眠っておるか、そうでなければなんかやったり、
考えたりしている。ですから、寂しいとか、
そういうことはないですね。
いよいよ疲れれば眠って、
目が覚めればまたなんかをやっておりますから、
退屈をしないのですね。
長生きに一番危険なのはね、退屈すること。
それから、くよくよすることでしょう。
2006-07-29 | 人生哲学 | コメント : 2 | tb : 0
「大器」の条件
真理は現実の唯中にあり ――森 信三〈7〉
ーー〈男は無限の前進に賭けるところが
なければならぬ〉というのもその通りですね。
森 男の生き方には、どこか「自己に賭ける」
という趣がないとね。組織の中におると
賭けるということはそう勝手にはできません。
なぜかというと、食うことを保障されているからね。
だから、人を使う人はある程度部下に賭けさせる
ということ。そこがすぐれた社長の条件でしょうね。
ーー賭けると、
自分の知らなかった力も出てきますからね。
2006-07-28 | 人生哲学 | コメント : 3 | tb : 0
仕事をやり抜く秘訣
真理は現実の唯中にあり ――森 信三〈6〉
ーー先生の学問は「いかに生くべきか」の学問、
いわば、実践の哲学ですね。
それだけに、先生の語録集『一日一語』の中にも、
ハッとさせられる言葉が多いです。
一、二例を挙げますと、
〈物事は一応八十点のできばえでいいから、
絶対に期限に遅れないこと。
これ世に処する一大要訣と知るべし〉
2006-07-27 | 人生哲学 | コメント : 3 | tb : 0
森 信三の「しつけの三原則」
真理は現実の唯中にあり ――森 信三〈5〉
ーー「言霊(ことだま)」って言葉がありますね。
あれはどういうふうに解釈されますか。
森 文字通り、命の根本は魂だ、
ということでしょうね。
大体、古代語は単純明快ですな。
細工が入らん。
いいかえると、論理はいらん。
2006-07-26 | 人生哲学 | コメント : 6 | tb : 0
愛語、よく廻天の力あり
真理は現実の唯中にあり ――森 信三〈4〉
ーーお話をうかがっていますと、
一つの言葉との出会いが、
先生の一生を決定したといえますね。
その意味では、言葉というのは大事ですね。
森 それを真っ先に説いたのは教典ではキリスト。
ヨハネ伝にある。
初めに言葉ありき、言葉は神なり、
といってる。
あれは神の内容をいっている。
2006-07-25 | 人生哲学 | コメント : 2 | tb : 0
新井奥邃(おうすい)の言葉に出会う
真理は現実の唯中にあり ――森 信三〈3〉
森 奥邃先生の語録うちの、
一つの言葉が私にビィーンと来たんです。
その幽深極まりない深奥な生命のリズムに触れて、
「わが国にも一人の“隠者”がいる。
そしてその名を新井奥邃という」
との感激が心の奥底深く刻まれたのです。
ーーそれは、どういう言葉ですか。
2006-07-24 | 人生哲学 | コメント : 2 | tb : 0
天地不書の経文を読め
真理は現実の唯中にあり ――森 信三〈2〉
ーー先生は西田幾多郎の門下生として
京都大学で学んでいたが、かねがね日本の学問の
現実遊離性に疑問をいだいていた。
それで、三十三歳の頃、『二宮翁夜話』の巻頭の言葉、
「まことの道は天地不書の経文を読みて知るべし」
によって開眼した、といわれてますね。
森 そうです。
その意味では、尊徳は私にとって“開眼の師”です。
2006-07-23 | 人生哲学 | コメント : 4 | tb : 0
雑事をいかに巧みにさばくか
真理は現実の唯中にあり ――森 信三〈1〉
ーー先生はハガキ道というか、
「ハガキの活用度いかんで、
その人の人生の充実度がわかる」
「ハガキ活用の達人たるべし」と、
ハガキの活用をすすめられていますね。
森 たった一枚のハガキで、
しかもたったひと言の言葉で人を慰めたり、
励ましたりできるとしたら、
世にこれほど意義のあることも
少ないですからね(笑)
ーーしかし、普通はなかなか億劫がって書かないですね。
2006-07-22 | 人生哲学 | コメント : 3 | tb : 0
自分とは「世間」によって作られる
だれだって、「自分はある」と思っている。
それは、大地が平たいと思っていても、
日常生活には差し支えがない、
ということと同じである。
でもじつは地球は丸い。
「皆がそう思っている」という例なら、
いくらでもあるし、いくらでもあった。
一億玉砕もそれである。
「隣の人は玉砕するつもりだナ」
と、その隣の人が思い、
そのまた隣の人もまたそう思い、
以下順送りで、
「だれだってそう思っている」
ということになっただけである。
2006-07-21 | 日本人論 無宗教 無思想 無哲学 養老孟司 | コメント : 5 | tb : 0
「自我」は主体でも実体でもない
意識は機能だということは、
強調しておくべきであろう。
意識はなにかの実体だという
感じがふつうするからである。
自我も意識だから、はたらきのはずだが、
実体に近いものと感じている人が
多いのではないか。
というより、
ふつうは実体だと信じられている。
2006-07-20 | 日本人論 無宗教 無思想 無哲学 養老孟司 | コメント : 6 | tb : 0
一年経ったら、去年とは「別な人」
日本人であっても、ロックと同じように、
指が落ちようが落ちまいがそれは
「同じ人」にきまっているじゃないか、
とふつうは思うであろう。
じゃあ訊くが、どこが「同じ」なのか。
人体を構成する物質は、
一年経ったらおそらく九割以上、
入れ替わってしまう。
一年経った人間は、
去年とはその意味では「別な人」である。
2006-07-19 | 日本人論 無宗教 無思想 無哲学 養老孟司 | コメント : 3 | tb : 0
「自分は身体ではない、身体は自分ではない」?
『人間知性論』のなかで、
ジョン・ロックはいう。
「たとえ指を切り落としたとしても、
自己が減ることはない。
肉体は自己ではないからだ」、と。
指じゃあ、自己は減らないかもしれないが、
首ならどうなんですかね。
話をもう少し細かく具体化して、
脳のほんの一部を「切り落とした」ら、
どうなるか。
ロックの意見それ自体が変化するか、
切り落とす脳の部位によっては、
全部の意見が消えてしまう。
2006-07-18 | 日本人論 無宗教 無思想 無哲学 養老孟司 | コメント : 4 | tb : 0
未婚の母の問題は、未婚ではなく子育ての問題
大家族の家単位だった私的空間が、
憲法上つまりタテマエ上は、
個人という実質的最小単位まで
小さくなってしまったのが、
戦後という時代である。
そうなると、実質とタテマエをなんとか
工夫してすり合わせるのが日本人だから、
どうなったかというなら、
「大きい」家族を、「小さい」個人のほうに
できるだけ寄せるしか手がない。
2006-07-17 | 日本人論 無宗教 無思想 無哲学 養老孟司 | コメント : 6 | tb : 0
最小の「公的」単位は「家」だった
結論を先にいおう。
日本の世間における、
私というものの最小の「公的」単位、
それは個人ではなく、「家」だった。
日本の世間は「家という公的な私的単位」
が集まって構成されていたのである。
そういえば、年配の人たちは
たちどころに理解するであろう。
新憲法はそこに「個人」を持ち込んだ。
つまり「自分」が最小の私的単位だと、
公に決めたのである。
2006-07-16 | 日本人論 無宗教 無思想 無哲学 養老孟司 | コメント : 2 | tb : 0
日本人には自我がない
近代的自我の進入
俺もお前も一緒くたの世界に、
ある日突然、
実存的主体としての自己が進入してきた。
これを西欧近代的自我という。
当時はなんでも欧米を見習えという時代だから、
それはそれで仕方なかった。
しかし、もともと世間にそういうものは
なかったんだから、
これがいかに厄介な問題を引き起こしたか、
たいていの人はなにか気づいているのでは
なかろうか。
2006-07-15 | 日本人論 無宗教 無思想 無哲学 養老孟司 | コメント : 6 | tb : 0
「ジブン、ニンジン嫌いやろ」
一人称の不思議
自分を表現する日本語は数多い。
ワタシ、ワタクシ、オレ、オイラ、ボク、小生、
時代劇なら拙者、身共(みども)、それがし、などなど。
英語にかぎらず、たいていの言語では、
自分を表現する言葉は一つで済む。
なぜ日本語には自分を示す言葉がたくさんあるのか。
たくさんあるということは、じつは「定まった私」
なんて、ないということではないのだろうか。
2006-07-14 | 日本人論 無宗教 無思想 無哲学 養老孟司 | コメント : 4 | tb : 0
人生は歩いている影に過ぎない
日本人は無宗教・無思想・無哲学だという。
さて無思想とは、どのような事態か。
もしかするとそれは、
「ゼロ」のようなものではないのか。
つまりゼロとは、
「なにもない」状態をあらわしつつ、
同時に数字の起点でもある。
ならば、「思想がない」というのも、
ひとつの「思想」のあり方ではないか。
日本の風土が生んだ「無思想という思想」を手がかりに、
現代を取り巻く諸問題、
さらには、意識/無意識とはなにかを、
大胆に、されど精緻に考え尽し、
閉塞した現代に風穴を開ける。
(折り返しの言葉より)
2006-07-13 | 日本人論 無宗教 無思想 無哲学 養老孟司 | コメント : 6 | tb : 0
青酸カリを飲んでも助かる方法
『歎異抄』のあとのほうにいくと、
こういう見事な言葉も出てきます。
「薬あればとて、毒を好むべからず」
どんなにいい薬があるからといっても、
わざわざ病気になるバカがどこにいるか、
というのです。
悪人のほうが救われるからといって、
では自分は悪人になってやろうと
思う人がいたら、
その人は本当の悪人ではありません。
つまり、自分が悪人だと
気がついていないからです。
2006-07-12 | 他力 他力本願 親鸞 | コメント : 2 | tb : 0
“悪人”とはいったい何か?
「善人なおもて往生をとぐ いわんや悪人をや」
『歎異抄』の第三章に出てくる言葉です。
また、第一章には、
「悪をもおそるべからず」
とも出ています。
親鸞という人は、こんな言葉を残したために、
後世、多くの人々から誤解されることに
なったのです。
親鸞のいう“悪人”とはいったい何でしょうか。
2006-07-11 | 他力 他力本願 親鸞 | コメント : 5 | tb : 0
自分のような悪いヤツはいない
人が仏になるためには煩悩を
取除かなければなりません。
われわれ人間のまわりを取り巻いている
欲望は数知れずあります。仏教でもこの煩悩を
いろいろな形で説いています。
除夜の鐘でも知られる一〇八煩悩という
分け方もありますし、
あるいは三毒の煩悩というのもあります。
これは、貪欲、瞋恚、愚痴のことです。
貪欲というのはむさぼりの心のことで、
瞋恚は怒りで、愚痴は愚かさを意味します。
要するに、この三つのものを出発点として、
さまざまな欲望が人間には必ずあるわけです。
2006-07-10 | 他力 他力本願 親鸞 | コメント : 4 | tb : 0
徹底的な自己否定
いよいよ親鸞の話です。
いうまでもなく、法然によって開かれた
浄土宗の思想をさらに発展させ、後年、
浄土真宗と呼ばれる宗派の宗祖とみなされる
ようになった人です。
もっとも宗祖といっても、
親鸞自身は浄土真宗という宗派を
つくる意志はまったくありませんでした。
自分は生涯、法然の弟子であるという
意識を持っていたからです。
2006-07-09 | 他力 他力本願 親鸞 | コメント : 4 | tb : 0
最後まで愚になれなかった法然
法然をひとことでいえば、
大秀才といっていいでしょう。
仏教の文献を集めた膨大な叢書「大蔵経」を
三回読んだといわれていますし、
比叡山で法然が学んだ師たちも、
みな法然の学力に舌を巻いたというのですから、
秀才中の秀才でしょう。
この法然が勉強に勉強を重ね、修行の果て、
人間というのは愚かなものだという心境に
達するのですから面白いものです。
2006-07-08 | 他力 他力本願 親鸞 | コメント : 6 | tb : 0
「無量寿経」の四十八願とは
阿弥陀仏の前世物語が出ているのが、
浄土三部経の中の「無量寿経」で、
この中に四十八願というものが出てきます。
これは浄土真宗の中心となる経典といって
いいでしょう。この中身を簡単にいっておきます。
昔、あるところにひとりの王様がいた。
その王様が、なんとか自分の治めている国の
国民を幸せにしたいと努力したが、
片一方が幸せになると片一方が
どうしても不幸になってしまう。
2006-07-07 | 他力 他力本願 親鸞 | コメント : 4 | tb : 0
卑怯なことはいけない
私にとって幸運だったのは、
ことあるごとに「武士道精神」を
たたき込んでくれた父がいたことでした。
父からはいつも、「弱い者いじめの現場を見たら、
自分の身を挺してでも、弱いものを助けろ」
と言われていました。
父は「弱い者がいじめたれているのを
見て見ぬふりをするのは卑怯だ」
というのです。
私にとって「卑怯だ」と言われることは
「お前は生きている価値がない」
というのと同じです。
2006-07-06 | 武士道 新渡戸稲造 藤原正彦 国家の品格 | コメント : 6 | tb : 0
日本の庭師はオーケストラの指揮者
それではどうしたら良いのでしょうか。
一つの解決策として私が提示したいのは、
日本人が古来から持つ「情緒」、
あるいは伝統に由来する「形(かたち)」、
こうしたものを見直していこう、
ということです。
・・・・・・
論理とか合理を「剛(ごう)」とするならば、
情緒とか形は「柔(じゅう)」です。
硬い構造と柔らかい構造を相携えて、
はじめて人間の相互判断は十全のものとなる、
と思うのです。
2006-07-05 | 武士道 新渡戸稲造 藤原正彦 国家の品格 | コメント : 2 | tb : 0
ならぬことはならぬものです
江戸時代、会津藩に日新館という
藩校がありました。
白虎隊も教えを受けていたなのですが、
ここに入る前の子弟に対して「什(じゅう)の掟(おきて)」
というのがありました。
そこにはこう書いてあります。
2006-07-04 | 武士道 新渡戸稲造 藤原正彦 国家の品格 | コメント : 7 | tb : 0
人殺しは悪いこと?
もし人間にとって最も重要なことが、
すべて論理で説明できるならば、
論理だけを教えていれば事足りそうです。
ところがそうではない。
論理的には説明できないけれども、
非常に重要なことというのが山ほどあります。
別の言葉で言うと、
「論理は世界をカバーしない」
ということです。
数学のように論理だけで構築されているような
分野でも、論理ですべてに決着をつけることは
できないのです。
2006-07-03 | 武士道 新渡戸稲造 藤原正彦 国家の品格 | コメント : 4 | tb : 0
「資本主義の勝利」も幻想
弱肉強食に徹すれば、
組織は確かに強くなるでしょう。
しかし、社会は非常に安定性を失います。
アメリカが良い例です。
アメリカの人口あたりの弁護士の数は、
日本の二十倍です。
また、精神カウンセラーの数が
五十倍とか六十倍とか言われております。
競争社会を徹底すると、
そういう人々を大量に必要とする
社会になるということです。
2006-07-02 | 武士道 新渡戸稲造 藤原正彦 国家の品格 | コメント : 3 | tb : 0
「競争社会」「実力主義」も間違い
・・・・・・
競争社会や実力主義は、
組織の繁栄には良いかも知れません。
いかなる組織でも、
構成員に激しい競争をさせ、
無能な者からどんどんクビにして、
有能な者のみを残し、
新しい有能な者を採り続けるのが
一番いいに決まっています。
論理的に筋が通っています。
しかし、その論理が社会全体を
覆いつつあるのを見ると、
「ちょっと待て。それは誤りだ」
と大声で言いたい衝動に駆られます。
2006-07-01 | 武士道 新渡戸稲造 藤原正彦 国家の品格 | コメント : 5 | tb : 0
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