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2011年03月11日 (金) | Edit |
十四世ダライ・ラマ著「ダライ・ラマ[死の謎]を説く」より(3)

特別な修行も積まず、
深く仏の教えに帰依しているわけでもない、
ごくごく普通の人間にとって、
死の恐怖を軽減する方法はあるのか。

ダライ・ラマ
ダライ・ラマ「死の謎」を説く (角川ソフィア文庫)

もし、その人が、
再生、転生の思想を信じず、
ただ一度きりの人生、
この〈現世〉しか認めないなら、
死の恐怖を軽減する効果的な方法は、
存在しないと言わねばならない。

もし、あなたがそのような人間であるなら、
しかも、死を恐れているならば、
こう答える以外にはないだろう。

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2011年02月11日 (金) | Edit |
十四世ダライ・ラマ著「ダライ・ラマ[死の謎]を説く」より(2)


「明日が来るのが当たり前だと思っていたから」

TVドラマ「冬のサクラ」で石川萌奈美を演ずる
今井美樹の言うセリフ。萌奈美は脳に腫瘍があり、
余命数カ月と医師から宣告された。

不孝な人をほっておけない男、稲葉祐は草剛。
萌奈美の夫で嫉妬深い脳外科医を高嶋政伸。
その母に江波杏子など豪華キャスト。

萌奈美が祐と再会し、別れ際にいう言葉が上記の
「明日が来るのが当たり前だと思っていたから」
だった。

萌奈美に限らす私たちは「明日が来るのが当たり
前」だと思って生きている。今までずっと一貫し
て明日がありましたからね。でも実際には明日は
わからない。

さて「ダライ・ラマ[死の謎]を説く」のつづきを
どうぞ

ダライ・ラマ「死の謎」を説く (角川ソフィア文庫)ダライ・ラマ「死の謎」を説く (角川ソフィア文庫)
(2008/07/25)
ダライ・ラマ

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2011年01月11日 (火) | Edit |
十四世ダライ・ラマ著「ダライ・ラマ[死の謎]を説く」より (1)

今回みなさんと一緒に学ぼうとしている「ダライ・ラマ[死の謎]
を説く」は、2006年02月05日~に一度ご紹介したものです。

私が一貫して学び続けていることは「死」ついてのあらゆること
です。死とは何か、死後の世界はあるのか、死の恐怖の克服など
など・・・。ダライ・ラマはこれらの疑問にどう答えてくれるの
でしょう。


人間は死を恐れる。
究極の恐怖といえば死の他にはない。
死は「生命の終焉」「存在の停止」
と言い表すことができる。

だが、仏教やインドの宗教、哲学では
再生、転生の考え方を
受け入れている。

この場合、
「死」はただの「この生命」のおわり、
「現世」の終わりにすぎない。

ダライ・ラマ
ダライ・ラマ「死の謎」を説く (角川ソフィア文庫)

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2010年12月26日 (日) | Edit |
丁度一年前の2009年12月28日(月)のろくろくブログは
次のよう始まっています。


本年(2009年)も残すところあとわずかになりました。
大晦日まであと4日というなんとも気忙しいこの日に
ご紹介しなければならない本があるのであります。

スティーヴン レヴァイン (著)
Stephen Levine (原著)
ヒューイ 陽子 (翻訳) VOICE

「余命一年…だとしたら―残された時間があと一年、
と思って生きてみると」

であります。


なんだかやたらに力が入っている文章で、
当時の意気込みが感じられてかわいいとさえ思えてくる
一年後ろくろくですが、引き続き一年前の記事をご覧く
ださい。


死を見つめることにより、人生を活性化させる。
これは、長年アメリカで末期患者のケアを実践して
きた著者が発見した、逆転の発想による生き方。

もしあなたの余命があと一年しかないとしたら…。
あなたは何を考え、何を行い、何を見つけるだろうか。
死を見つめ、人や自分を許し、感謝し、人生そのものを
考え直すことができるガイドブック。

・・・・・
そこで私は読者に、これからの一年を人生最後の一年であ
るかのように生きてみることを提案したい。その結果、心
身を癒す力が増大すると思うからだ。

というわけで、お調子者のろくろくは、
「その話、のった~~!!」とばかりに
身近な何人かを巻き込んで、今回は大真面目に

「これからの一年(2010年)を人生最後の一年であるか
のように生きてみること」に挑戦したいと思うのであります。


このようにして「今年一年(2010年)を人生最後の一年で
あるかのように生きてみること」に挑戦したのです。

余命一年
余命一年…だとしたら―残された時間があと一年、と思って生きてみると
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2010年11月25日 (木) | Edit |
余命は今日(11月25日)を入れてあと36日となりました。
「思い残すことはないか?」と、自らに問えば、沢山
あるはずなのに、以外にも少ししかないのにはチョット
驚いている。

まだ遺言も書いていないし・・・・・、と思うのだけど
書くことが見当たらないのだ。山のような本もCDも
息子が適当に処分してくれるだろうし。

米寿を迎える母親には「有難うございました」と一言感謝
の言葉を言わねばならないだろうなぁ~

欲の目で人生を振り返れば、ああすればよかった、
これもしたかった、どこそこにも行きたかった。
となるのだけれども、何もかもが寸足らずの中途半端なまま
でしたが、充分に楽しい一生でありました。

tono88


自分の体を焼いた後の灰は海よりは、何処かの山に撒いて欲
しいという気持ちが少しあるけれど、それにしたって、
亡くなった後は、残された人の思うようにするのにおまかせする、
でいいではないか。

さて今回は「誰が死ぬのか」(スティーヴン レヴァイン著
「余命一年…だとしたら」より169頁~)を共に学び
たいと思います。

余命一年…だとしたら―残された時間があと一年、と思って生きてみると余命一年…だとしたら―残された時間があと一年、と思って生きてみると
(2001/12/01)
スティーヴン レヴァイン

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2010年11月17日 (水) | Edit |
養老孟司「運のつき」マガジンハウス(8頁~)より



「自分が死ぬって、大問題じゃないか」
たいていの人はそう思っているでしょう。
でも、考えたらすぐにわかるじゃないですか。
「自分が死んで、何が大変か、死んだら、
それを心配する自分がいないんだから、
考えたってムダじゃないか」って

…べつに理屈じゃありません。
素直にそう思っているんですよ、私は。

「そうはいうけど、死にたくない」
っていう気持ちは、私だってありますよ。でも
だれでも死ぬことはたしかですから、
いくら死にたくないと思っても、結局はムダです。

…私たちは毎日眠るじゃないですか。
そのまま死んでしまったら、どうなりますか。
二度と目がさめない。それで死を「永遠の眠り」という。

眠っている本人にとっては、生きてようが、
死んでようが、関係ないじゃないですか。
眠ている以上は、死んだことにも気づかないんですから。

飛行機が揺れると怖い。落ちたらどうしょう、と心配する。
それはじつは「死ぬこと」が怖いわけじゃない。
そこまでの途中が怖い。
墜落して、本当に死んでしまったら
怖いもクソもない。

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運のつき 死からはじめる逆向き人生論

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2010年11月13日 (土) | Edit |
今回はろくろくの座右の書のひとつである
ソギャル・リンポチェ著「チベットの生と死の書」
を共に学んでいきましょう 

(64頁~)


万物の本質は束の間の幻
二元論的認知をする者は苦を楽ととらえる
カミソリの刃から蜂蜜をなめる者のように
有形の現実に執着する者のいかに哀れなことか
内に思いを向けるのだ、わが心の友よ

だが、内に思いを向けることのいかに難しいことか!
わたしたちはいかにやすやすと古い習慣に流され、
一定の行動様式に支配されてしまうことか!

ニショル・ケンポの詩がいうように、
習慣や行動様式は苦しみをもたらすのである。
にもかかわらず、わたしたちはあたかもそれが運命で
あるかのように、あきらめ、受けいれてしまう。

それらに屈伏することに
あまりに慣れてしまっているからだ。

わたしたちは自由を理想としてかかげる。
にもかかわらず、こと習慣となると、
わたしたちはまったくの奴隷なのだ。

それでもなお、内省はゆるやかに智慧をもたらす。
固定し習慣化した行動様式に自分が何度も落ち込む
のを自覚できるようになるのである。

何度も何度も、わたしたちはその行動様式に舞いも
どる。だが、少しづつそこから出てきて、変わって
ゆくことができるのである。

sitosei
チベットの生と死の書

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2010年10月27日 (水) | Edit |
週刊朝日(2010年10月22日号)の養生達人・健康問答、
帯津良一×立川談志の対談で

dansi

「ひとつの情報もこぼれてこないっていうのは、
やっぱり死後の世界はないとしか言いようがない」

と言う人もいますね。でも、私はまあ、あると思って
いたほうがいいかなって。と帯津良一先生がわけのわ
からないことを仰っています。

以前コメントにも書きましたが、盤珪禅師は

「不生で一切事がととのいまするわいの」
とおっしゃり、続けて

「いま不生でおるところで、死んでのち不滅なもの
ともいいませぬわいの。 生ぜぬもの滅することは
ござらぬほどに、そうじゃござらぬか」

つまり「生まれていない、のだから死ぬわけがない」
とおっしゃっているのです。 ろくろくはこの盤珪さん
の言葉がすべてを語りつくしているのだと思うのです。
死後の世界はない・・・・・

「私たちの誤解の最たるものは『私たちが誕生した』と
思いこんでいるところにある」とスティーヴン レヴ
ァインさんだったか?が仰っています。

えっ??私たち、誕生したのではないのですか?
と誰もが思ってしまいますよね。

盤珪さんもおっしゃる通り「不生」=生れていない、
のですから、死ぬわけがない。でも母から生れて
来たのもがあるのも確かですよね。

そこで何が生れてきて、
何が「不生」なのかということになります。

生れて来たのは肉体で、
その肉体に宿る意識=心は「不生」で不滅だ
というのです。

おっと前置きが長くなってしまいました。
余命は今日(10/27)で、後65日であります。
あと少しの命を大切にしたいものです。

今回は「肉体に生きる」(スティーヴン レヴァイン著
「余命一年…だとしたら」より153頁~)を共に学び
たいと思います。

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余命一年…だとしたら―残された時間があと一年、と思って生きてみると

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2010年09月25日 (土) | Edit |
余命は今日(9/25)で、後98日となりました。
余すところ3か月と6日です。

酷暑の夏もここにきてやっと重い腰を上げてくれたよ
うです。暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったものです。

もしも今回「余命一年と思って生きる」ということに
チャレンジしていなかったら、もっと、もっと「暑い、
暑い」を連発しながら、不機嫌な夏を過ごしたことで
しょう。

さて、100日を切ったからといって、特に変わった
ことをするわけでもなく、いつものようにこうしてブ
ログを綴っています。普通であることの奇跡です。

何かの病気や事故で体にダメージがあり、痛みがあっ
たりすると、ことはそんなにすんなりと行かないかも
しれません。

その上そのことが原因で後98日の命しかないといっ
た人の場合は、こんなにも冷静に淡々と過ごすことは
出来なくて当然だと思います。体の不調、特に痛みは
心身に大きなダメージですからね。

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なにはともかく、今までのような日々とは違っている
と感じるなにかがあります。

本気というか、真剣というか、シャキッとしていると
いうか、どこかに終わりを覚悟しているところがある
ように思う。


さて、今回は「人生を振り返る」(スティーヴン レヴ
ァイン著「余命一年…だとしたら」より129頁~)
を共に学びたいと思います。

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2010年08月24日 (火) | Edit |
余命は今日(8/24)で、後130日となりました。
余すところ4か月と7日です。

暑い夏も、あと一息で終わろうとしていますが、
最後の夏であればこの暑さもまた違った気持ち
で過ごすことができるのです。こんなに暑い夏
であっても、愛おしくさえ思えて来るというの
は、なんということでしょう。

誰もが「暑いね、暑いね、今年は特別暑いね」と
言葉を交わしています。確かに炎天下、外に出れ
ばクラクラする位の暑さに違いはないのですが、
とてもなつかしくて、いとおしい。

ということは、やっぱり「もとはこちら」なんだ
ということをあらためて体験させて頂いたという
ことになりました。

外がどんなに暑くても、内にその暑さを超えた気
持ちがあれば、暑さが快感でさえある。原因は自
分にあるんだということなんだなぁ~
(熱中症には充分気を付けなければなりませんが)

ところで、どうして私たちはなんの根拠もないの
に、また来年の夏も間違いなく自分に巡って来る
と信じているのでしょうか?

それは、生れてから今日まで確実に巡り続けて来た
折々の四季が、当たり前に淡々と狂うことなくやっ
て来たからなんでしょう。それ以外の体験が無いも
のだから、死もありえないとしか思えないのでしょ
うね。

それでも、この夏のように熱中症で多くの人が亡く
なるのを毎日のように聞かされると、生と死は本当
に紙一重であり、自分のすぐ近くにも死はあるのだ
と感じられます。

natu

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テーマ:哲学/倫理学
ジャンル:学問・文化・芸術

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