碌々(ろくろく)ブログ

先哲の教え、言葉などを通して  心身の健康、真の幸福  そして人生成功の秘訣を  共に探求していきましょう

無と空という知恵

養老孟司著「無思想の発見」ちくま新書より(19)


これでやっと空の説明ができる。

意識が立てるのは、根本的には秩序である。
ところが秩序はかならずゴミを出す。

だから全体としてみれば、
「何か起こったようでいて」、
じつは「なにも起こっていない」。

ゴミを含めた全世界のトータルは、
つねにゼロだからである。


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2006-08-15 | 日本人論 無宗教 無思想 無哲学 養老孟司 |  コメント : 0  |  tb : 0

日本思想は仏教思想だとなぜいわない

養老孟司著「無思想の発見」ちくま新書より(18)


有名な「色即是空」の「空」は、
ゼロでいうなら、
「数はないが、数字の一つ」
と同じ意味であろう。

「無」はゼロの「数がない」
というほうの意味である。
だからこそ、

「是故空中無色無受想行識(これゆえ空のなかには
色なく受想行識もない)」

とあるので、「空のなかには」というのだから、
「空」はある。しかしそこには、「色」つまり感覚も、
「受」、つまり感覚入力も、概念も行動も意識も「無」、
つまり「ない」。


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2006-08-14 | 日本人論 無宗教 無思想 無哲学 養老孟司 |  コメント : 6  |  tb : 0

「般若心経」こそ無思想の思想そのもの

養老孟司著「無思想の発見」ちくま新書より(17)


いったい無思想という日本の思想は、
どこから来たのだろうか。

それが日本独自のものでないなら、
世界に味方が見つかるはずである。

これについて、ちょっと考えてみると、
だれでも思い当たることがあるのではなかろうか。

日本語では「無」という言葉は、
じつは頻用されるからである。


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2006-08-13 | 日本人論 無宗教 無思想 無哲学 養老孟司 |  コメント : 4  |  tb : 0

「形を重んじる」のは思想がないから

養老孟司著「無思想の発見」ちくま新書より(16)


日本に思想はないというこを考えていくと、
さまざまな日本的特質の説明ができる。

日本人が「形を重んじる」のは、
思想がないからである。
形に思想はいらない。

しかし形は動かしがたい。
同時に形は目に見えるから、
それは現実だと思われやすい。

こうして司馬遼太郎の日本論は、
『この国のかたち』(文春文庫)になった。


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2006-08-12 | 日本人論 無宗教 無思想 無哲学 養老孟司 |  コメント : 3  |  tb : 0

「2ちゃんねらー」も無思想という思想

養老孟司著「無思想の発見」ちくま新書より(15)


日本人はたいてい無宗教、
無思想、無哲学だと主張する。

それが日本の宗教、日本の思想、
日本の哲学である。私はそう思う。

これはなかなか合理的な考え方である。

宗教、思想、哲学といった類のものを
無理して持たなければ、とくに考える必要も、
ぐあいの悪いところを訂正する必要もない。


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2006-08-11 | 日本人論 無宗教 無思想 無哲学 養老孟司 |  コメント : 2  |  tb : 0

日本人は無宗教、無思想、無哲学

養老孟司著「無思想の発見」ちくま新書より(14)


なぜ日本人は「自分には思想はない」
と思いたがるのか。

一つには、それが謙虚な態度に見えるからであろう。
世間で生きていくには、謙虚に見えることは、
処世術として大切なことである。

もう一つは、「自分に思想はない」と思ったときから、
それ以上、思想について考える必要が
なくなるからであろう。

考えるというのは億劫なもので、
それこそあれこれ考えるくらいなら、
「やってしまったほうが早い」。


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2006-08-10 | 日本人論 無宗教 無思想 無哲学 養老孟司 |  コメント : 8  |  tb : 0

俺には思想なんてない

養老孟司著「無思想の発見」ちくま新書より(13)


ここまで、
「自分とは、なんだろうか」
という疑問について考えてきた。

「自分探し」の若者ならともかく、
この世間で働いて生きてきた人であれば、
そんなことを考える暇があったら、

もっと違ったことを考える。
考えると思う。

いまの上役が気に入らないから、
なんとかならないかとか、
給料が安いじゃないかとか、

女房と喧嘩したけど、
どう始末をつけるかとか、
これからなにをしたら儲かるか、とか。

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2006-08-09 | 日本人論 無宗教 無思想 無哲学 養老孟司 |  コメント : 0  |  tb : 0

比叡山の千日行

養老孟司著「無思想の発見」ちくま新書より(12)


「自分を創る」作業の典型を、
以前は修行といった。

比叡山の千日行というのがある。
叡山の山中を千日、
たたひたすら走り回る。

それを終えると、大阿闍梨という称号がもらえる。
マラソンの選手じゃないんだから、
お坊さんが山を走り回ったところで、
一文にもならない。

だれに頼まれたわけでもなし、
そんなことをしても、なんの意味もない。
GDPも増えない。

じゃあなんでそんなことをするのか。


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2006-08-08 | 日本人論 無宗教 無思想 無哲学 養老孟司 |  コメント : 5  |  tb : 0

現代は極端に経験不足の時代

養老孟司著「無思想の発見」ちくま新書より(11)


昔のように、お姑さんが、
「この家では、こうするんです」
と理も非もなく教え込めば、
嫁は反発するであろう。

反発すれば、考えるようになる。
しかし、私の育った時代からすでに、

「子どもには個性がある、個性があるんだから、
それにふさわしい教育をすべきだ」
という世界になった。

だから子どもを「自由」にさせておくわけで、
それで育った大人に明確な自分が「できている」
はずがない。


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2006-08-07 | 日本人論 無宗教 無思想 無哲学 養老孟司 |  コメント : 5  |  tb : 0

他人が見る自分こそが自分

養老孟司著「無思想の発見」ちくま新書より(10)


いわゆる自分、ふつうの自分は、
自己の内部で閉じているのではない。
世間に開いている。

その世間が不安定化すれば、
自分は不安定になる。

それが現代日本で起こっていることであろう。
いまではそれを「不安」などと呼ぶのであろう。


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2006-08-06 | 日本人論 無宗教 無思想 無哲学 養老孟司 |  コメント : 0  |  tb : 0

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