2014年10月22日 (水) | Edit |
花山勝友著「親鸞・悪人のすすめ」大和出版より(11)


浄土教の経典に出てくる阿弥陀という
仏が浄土教の中心に位置します。

この阿弥陀という名前自体、
大変面白く、
深い意味があります。

「阿弥陀」という言葉は、
もともとサンスクリット語で、
これはヨーロッパ系の言葉ですから、
英語やドイツ語などと構造が似ています。


「阿」というのは否定をあらわす言葉です。
なにを否定するかというと、
「弥陀」を否定しています。


親鸞・悪人のすすめ―自分の心に嘘をついていないか親鸞・悪人のすすめ―自分の心に嘘をついていないか
(1995/10)
花山 勝友

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2014年09月22日 (月) | Edit |
花山勝友著「親鸞・悪人のすすめ」大和出版より(10)


こちらが救ってくれと誰も
阿弥陀仏に頼んだ覚えはないのに、
勝手に救うといっている。

好きにすればいいじゃないかと
思っていたが、

ある日、自分が生きている喜びに
気がついたとき、自然に“何かに対して”
感謝の気持ちが湧いてくる。

それが「親のお陰」であり、
「あなたのお陰」であり、
「あの人のお陰」であるわけです。

「ご先祖様のお陰」であるかもしれないし、
「今日のご飯のお陰」であるかもしれません。

それをこのようにいちいちいっておれないから、
まとめて「なむあみだぶつ」という言葉で
あらわしたのです。

親鸞・悪人のすすめ―自分の心に嘘をついていないか親鸞・悪人のすすめ―自分の心に嘘をついていないか
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2014年08月22日 (金) | Edit |
花山勝友著「親鸞・悪人のすすめ」大和出版より(9)


法然の念仏と親鸞の念仏とでは
少し違いがあるように思っています。

ごく簡単にいえば、法然の念仏は
しなければならない念仏です。

浄土宗の寺に行くと、必ず十回念仏を唱えます。
あるいは十夜念仏会といって、十日十夜毎晩
集まって木魚を叩いて念仏を唱えたりします。

親鸞の念仏は
せざるを得なくなる念仏です。

親鸞・悪人のすすめ―自分の心に嘘をついていないか親鸞・悪人のすすめ―自分の心に嘘をついていないか
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2014年07月22日 (火) | Edit |
花山勝友著「親鸞・悪人のすすめ」大和出版より(8)


私がアメリカにいたとき、
なんともすばらしい体験を
したことがあります。

なんと三つの子どもに、
「南無阿弥陀仏」という念仏の意味を
教えられたのです。

アメリカの大学で教えながら、
土曜日と日曜日だけは小さなお寺の住職をして、
サンデースクール、日曜学校を開いていました。

幼稚園児ぐらいの子から、小学校の子どもまで
数十人集まってきました。
その子たちに英語で話をしたのです。


親鸞・悪人のすすめ―自分の心に嘘をついていないか親鸞・悪人のすすめ―自分の心に嘘をついていないか
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2014年06月22日 (日) | Edit |
花山勝友著「親鸞・悪人のすすめ」大和出版より(7)


日本人がしょっちゅう使っている言葉で
縁起というのがありますが、
これは因縁生起からきています。

縁起をかつぐ、縁起直し、
縁起物、などと使います。

結婚式などのときに、
「このたびは不思議なご縁で」
などといったりもします。


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2014年04月22日 (火) | Edit |
花山勝友著「親鸞・悪人のすすめ」大和出版より(6)


宗教が、重要な問題のひとつとして、
人の死ということを追求しているのには
それなりのわけがあります。

つまり、やがて間違いなくおとずれる
このことを意識することで、
いま自分が“生かされている”ことの大事さ、

“生かされている”ことへの
感謝の気持ちが湧いてくるのです。


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2014年03月22日 (土) | Edit |
花山勝友著「親鸞・悪人のすすめ」大和出版より(5)


死の辛さを少しでも解消する道として、
死んだら何もなくなってしまうという、
一見科学的な考え方と、

死んでも何かが残るという考え方とでは、
どちらがいま生きている人間に安らぎを
与えるかといえば、それは明白でしょう。

どんな形でもいいのですが、
私自身が気に入っているのは、
やはり親鸞の説いた道です。

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2014年02月22日 (土) | Edit |
花山勝友著「親鸞・悪人のすすめ」大和出版より(4)


もっと具体的な例もありました。
死に際し、阿弥陀仏像の手から五色の糸を引っ張る、
臨終行儀(りんじゅうぎょうぎ)というものです。

臨終のときにお坊さんたちが集まり、
死に行く人に向かって、いま迎えに来てくれたからな、
と五色の糸を引っ張って、見せるものです。

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2014年01月22日 (水) | Edit |
花山勝友著「親鸞・悪人のすすめ」大和出版より(3)


娑婆との縁は誰でも尽きるのですから、
人間の臨終は、
昔から宗教の重大なテーマでした。

それは本来、
人が死んでから何らかの儀式を
行えばいいというものではありませんでした。

いま問題になっているターミナル・ケア(末期医療)
といわれる要素も充分に含んでいたのです。


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2013年12月22日 (日) | Edit |
花山勝友著「親鸞・悪人のすすめ」大和出版より(2)


昭和二十年代の日本人の平均寿命は男女とも
二十歳代だったそです。

戦後の食べられない状態とチフスを初めとする
あらゆる伝染病、乳幼児の死亡率がものすごく
高かったからです。だとすると、

鎌倉時代の平均寿命はおそらく十歳代でしょう。
その時代に九十歳まで生きたのですから、
私の知人の九十歳の老人以上に
「ものすごく長く生きた」と客観的にはいえます。


その親鸞が、
老いに対する苦しみを述べています。
「目もかすんで候、もの覚えも悪くなって候」と。

親鸞・悪人のすすめ―自分の心に嘘をついていないか親鸞・悪人のすすめ―自分の心に嘘をついていないか
(1995/10)
花山 勝友

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