2012年05月19日 (土) | Edit |
秋山さと子著「悟りの分析」朝日出版社 より


仏教を他の思想と区別する三つの印として、
三法印があります。それは、

一切皆苦(いっさいかいく)
諸法無我(しょほうむが)
諸行無常(しょぎょうむじょう)

の三つの思想で、
この三つの思想が入っていなければ、
仏教とはいわないのです。

これにもう一つ
涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)
を加えて、四法印ということもあります。


お坊さんのお説教を聞いていると、
仏教なんて、そんなにむずかしいものではなくて、
ともかく悪いことをしなければいいんだと
簡単に考えられます。

悟りの分析―仏教とユング心理学の接点 (PHP文庫)悟りの分析―仏教とユング心理学の接点 (PHP文庫)
(1991/06)
秋山 さと子

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2010年05月08日 (土) | Edit |
ひろぼうさんの(2010/04/23(Fri)付の)コメントに

「六道は生きてる内に通る道(ひろぼう)
ろくろく様、人たる道を教えて下さい。」

というのがありました。

「人たる道を教えて下さい」と尋ねられたことが
ろくろくにとって初めてのことであったこともあり、
しばらくの間、質問を受けたことさえ分かりません
でした。

実のところ「人たる道」ということを今までの人生で
考えたことがありませんでした。まあほんとに自己中
の我が儘な生き方しかしてこなかったのです。

そこで先ずは「人たる道」をネットで検索してみたところ、
トップにあったのが、、石田梅岩 正直・勤勉・倹約...
人の人たる道 - 亀岡市のホームページでした。

石田梅岩は1685年に現在の京都府亀岡市に百姓の次
男として生まれました。11歳で呉服屋に丁稚奉公に出て、
その後一旦故郷へ帰り、23歳の時に再び京都の商家に
奉公した。43歳の時、在家の仏教者小栗了雲に出会い、
思想家への道を歩み始めました。

45歳の時に借家の自宅で無料講座を開き、石門心学と
呼ばれる思想を説きました。江戸時代の思想家、倫理
学者。石門心学の開祖。

石田梅岩のことば―素読用 (サムライスピリット 4)石田梅岩のことば―素読用 (サムライスピリット 4)
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寺田 一清

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2010年01月28日 (木) | Edit |
1人生を癒す(2)

この「余命一年…だとしたら」の本には沢山の瞑想法を
紹介してくれています。瞑想の部分は活字(ロゴ)を変え
てあり、すぐにお分かりになると思いますが、この瞑想
のところをご自分でテープなどに録音して聴かれるのを
お勧めします。

私のテープレコーダはすべてこわれてしまい使い物にな
りません。

そこでこの機会に「ICレコーダ」DIPLY ICR-PS004Mを購入
しました。近くのヤマダ電機で\8,980円で買ったのですが、
ネットのほうが遥かに安くアマゾンだとなんと\7,444でし
た。残念! 詳細は分かりませんがどうやらICレコーダの
人気機種はサンヨーのDIPLYシリーズのようですね。

で、左手に本、右手にICレコーダを持って録音したのです。
一人になれるくつろぎの瞑想タイムとか、夜寝る前とかの
リラックス出来る時に再生するのです。

私はもっぱら寝る前に聴くようにしています。それから夜
中に目が覚めて眠れない時とかにかけるのです。お勧めで
す。


SANYO リニアPCMレコーダー(シルバー) [ICR-PS004M(S)]SANYO リニアPCMレコーダー(シルバー) [ICR-PS004M(S)]
(2009/10/21)
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2010年01月20日 (水) | Edit |
ラマナ・マハリシ著 山尾三省訳「ラマナ・マハリシの教え」めるくまーる社より(14)


13 純粋な知識である自己と、関係的な知識である三要素
(知る者、知られるもの、知識)との間に、どのようにして関係が
できるのでしょうか?

それはいわば、次に示す映画の仕組みのようなものである。

フイルムがレンズをとおしてその陰を投げかける間は、
スクリーン上に像が映されるのと同じく、

潜在的な心の印象があるかぎりは、
夢を見ている人や眼が覚めている状態の人には
現象世界が現れつづけるだろう。


レンズがフイルム上の小さな点を巨大な像に拡大し、
一瞬の内に数知れぬ像を映し出すように、心は、
新芽のような小さな傾向性を大木のような想いへと拡大し、
一瞬の内に数知れぬ世界の姿を見せる。


シバァ神
(シヴァ神と妻パールヴァティー)


2010年01月05日 (火) | Edit |
ラマナ・マハリシ著 山尾三省訳「ラマナ・マハリシの教え」めるくまーる社より(13)


9 ハートの本性は何でしょうか?

そのことについて、聖典は次のように述べている。
「両乳の間、胸の下方、お腹の上方に、色の異なった
六つの器官がある(チャクラとは異なる)。

そのうちの一つで、水仙の花のつぼみに似た形をして
いて、指二本分だけ右側に位置しているのがハートで
ある。

それは花を伏せた形であり、その内部には深い暗闇
(無知)の座である小さな穴があり、欲望に満ちている。

すべての神経系列(ナーディ)はここに源を発している。
それは生命力の住処であり、心と(意識の)光の住処で
ある。


(ラマナ・マハリシが愛してやまなかった聖アルナチャラ山)
アルナチャラ01


2009年12月24日 (木) | Edit |
今年(2009)は裁判員制度が始まった年でした。

日本独自の制度のため、法務省は英文でも
saiban-in systemとしているが、英語文献では
専らcitizen judge systemと訳されているという。

lay judge system(直訳すれば「素人判事制度」)
と意訳されるものもあるのだそうです。(Wikipedia)

「素人判事制度」という言い方はとても分かりやすく
ていいと思いますけど・・・


選挙人名簿に登録されている者の中から、毎年9月1日
までに、「くじ」により裁判員候補者の予定者を選定
するといいますから、二十歳を過ぎた日本人であれば
誰が選ばれるかわからないわけです。

まったく見ず知らずの人を裁くことに抵抗がある人が
少なくないようですね。もっとも、知っている人を裁
くようなことになるのであれば、その抵抗ももっとも
っと大きいことになるでしょうね。

イエス・キリストも「人を裁くことなかれ」といって
います。


これでわかる!裁判員制度 (じっぴコンパクト)これでわかる!裁判員制度 (じっぴコンパクト)
(2008/08/29)
平野 哲郎

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2009年12月20日 (日) | Edit |
ラマナ・マハリシ著 山尾三省訳「ラマナ・マハリシの教え」めるくまーる社より(12)


6 自己はみずから全的に輝いているのに、すべての人々が世俗の
対象物を見るように、明らかに見ることできないのはなぜでしょうか?

それがなんであれ、一定の対象物が認知されるならば、
それらの対象物の内に形をとったそれ自身を認知するのは自己である。

というのは、知識あるいは自覚の名でよばれているものは、
自己の能力(アートマ・シャクティ)にすぎないからである。

自己が唯一の知覚しうる対象物である。
自己以外には何もない。


もし自己以外の何ものかがあるとすれば、
それらはすべて知覚能力がなく、
それら自身を知ることもお互い同志を知り合うことも
できないはずである。

人々が個我という姿で生(と死)の大海にあってもがき苦しんでいる
かのごとくに見えるのは、人々はこのような様態にあるその真の本性を
知らないからである。


ラマナ・マハリシ03


2009年12月08日 (火) | Edit |
ラマナ・マハリシ著 山尾三省訳「ラマナ・マハリシの教え」めるくまーる社より(11)


⑤ジュニャーナ――ディヤーナあるいは問いかけの道(ヴィチャーラ)
の実践を絶えず続けることにより、心が自己の姿に帰し、その働きが
なくなってしまうことである。

心が絶えてしまうとは、あらゆる努力がいらなくなった状態を言う。
この状態に確立された人たちは、けっしてこの真実の状態から逃れ
ようとはしない。

「沈黙」(マウナ)という言葉と無行動という言葉は、
この状態に関してのみ使われる言葉である。


ノート――
① すべての実習方法は、ただ心を集中させる目的で実践される。
思い出したり忘れたり、愛したり憎んだり、魅惑したり見捨てたり等
のすべての心の活動は、心の様々な状態であって人の本来の状態では
ない。

ラマナ・マハリシ02


2009年11月14日 (土) | Edit |
ラマナ・マハリシ著 山尾三省訳「ラマナ・マハリシの教え」めるくまーる社より(10)


1 どんな実践方法があるのでしょうか?


自己実現に達しようとする人の自己は、
彼自身と異なったものではない。

それは、彼によって到達されるはずの
彼よりすぐれたものであるわけがない。

自己実現とは、ただその人自身の本性を
実現することなのだから、

解脱を求める人は、一過性のものと永遠
のものをはっきり見分けることによって、

またけっして自身の本来の姿から逃げ出さ
ないことによって、疑う余地なく例外なく、
自分の本性を実現できる。


これが、知識の実践として知られていることである。
これが、自己実現に導く探究である。


2 この探究の道は、すべての人に適していると
言えるでしょうか?


ラマナ・マハリシ
若い時のラマナ・マハリシ


2009年11月01日 (日) | Edit |
ラマナ・マハリシ著 山尾三省訳「ラマナ・マハリシの教え」めるくまーる社より(9)


7 真実のグルの本性は、至高の主の本性であると言われて
いるのは、どのような意味なのでしょうか?

真実の知識の状態、あるいは神(イシュワラ)に至らんと願い、
つねに信仰に励んでいる人にとっては、その信仰が熟すと、
その人の内なる証人であり、その人自身と等しいものである
主がお現れになる。

主は、その弟子に祝福を与えんがために、慈悲深くも人間の姿
と名を帯びて現れ、主の三つの自然性であるサット-チット-
アーナンダ(存在-意識-至福)の助けを借りて、その人をして
彼自身の内に溶けこませるのである。

この原理によれば、グルは真実、主と呼ばれうるものである。

8 それでは、過去において何人かの偉大な人たちが、
グルなしで知識に到達したのはどういうわけでしょうか?

ごくわずかの機の熟した人々には、主は知識の光として輝き、
真理の目覚めを分かち与えてくださる。


Timeless in Time: Sri Ramana Maharshi (The Library of Perennial Philosophy)Timeless in Time: Sri Ramana Maharshi (The Library of Perennial Philosophy)
(2006/04/30)
A. R. Natarajan

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