2017年04月19日 (水) | Edit |
J・クリシュナムルティ 中川吉晴訳「瞑 想」星雲社より(11)



幸せや快楽は

それなりの支払いをすれば

どんな場所でも買うことができます

しかし

至福を買いもとめることはできません

自分自身のためにも

ほかの誰かのためにも……
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2017年04月01日 (土) | Edit |
ラマナ・マハリシ著 山尾三省訳「ラマナ・マハリシの教え」めるくまーる社より(11)


⑤ジュニャーナ――ディヤーナあるいは問いかけの道(ヴィチャーラ)
の実践を絶えず続けることにより、心が自己の姿に帰し、その働きが
なくなってしまうことである。

心が絶えてしまうとは、あらゆる努力がいらなくなった状態を言う。
この状態に確立された人たちは、けっしてこの真実の状態から逃れ
ようとはしない。

「沈黙」(マウナ)という言葉と無行動という言葉は、
この状態に関してのみ使われる言葉である。
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2017年03月15日 (水) | Edit |
J・クリシュナムルティ 中川吉晴訳「瞑 想」星雲社より(10)


瞑想とは

なんという とほうもないものでしょう

もしわずかでも 思考を瞑想にしたがわせ

瞑想の型にはめようと努力するなら

わずらわしい重荷になってしまいます

静寂をえようと望むなら

その静寂は 輝きを失ってしまいます

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2017年03月01日 (水) | Edit |
ラマナ・マハリシ著 山尾三省訳「ラマナ・マハリシの教え」めるくまーる社より(10)


1 どんな実践方法があるのでしょうか?


自己実現に達しようとする人の自己は、
彼自身と異なったものではない。

それは、彼によって到達されるはずの
彼よりすぐれたものであるわけがない。

自己実現とは、ただその人自身の本性を
実現することなのだから、

解脱を求める人は、一過性のものと永遠
のものをはっきり見分けることによって、

またけっして自身の本来の姿から逃げ出さ
ないことによって、疑う余地なく例外なく、
自分の本性を実現できる。


これが、知識の実践として知られていることである。
これが、自己実現に導く探究である。

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2017年02月15日 (水) | Edit |
J・クリシュナムルティ 中川吉晴訳「瞑 想」星雲社より(9)


あなたが

瞑想をしようとこころみるなら

それは瞑想ではなくなってしまうでしょう

あなたが善良であろうとするなら

善はけっして花ひらくことはないでしょう

あなたが謙虚さを身につけようとするなら

それはなくなってしまうでしょう

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2017年02月01日 (水) | Edit |
ラマナ・マハリシ著 山尾三省訳「ラマナ・マハリシの教え」めるくまーる社より(9)


7 真実のグルの本性は、至高の主の本性であると言われて
いるのは、どのような意味なのでしょうか?

真実の知識の状態、あるいは神(イシュワラ)に至らんと願い、
つねに信仰に励んでいる人にとっては、その信仰が熟すと、
その人の内なる証人であり、その人自身と等しいものである
主がお現れになる。

主は、その弟子に祝福を与えんがために、慈悲深くも人間の姿
と名を帯びて現れ、主の三つの自然性であるサット-チット-
アーナンダ(存在-意識-至福)の助けを借りて、その人をして
彼自身の内に溶けこませるのである。

この原理によれば、グルは真実、主と呼ばれうるものである。

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2017年01月15日 (日) | Edit |
J・クリシュナムルティ 中川吉晴訳「瞑 想」星雲社より(8)


瞑想は

日常生活とはべつの何かではありません

部屋の隅にいって

10分間 瞑想をし

そこからでてきて肉屋にもどる

というようなものではありません

これは

比喩として言っているのではなく

実際にそうなのです


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2017年01月01日 (日) | Edit |
ラマナ・マハリシ著 山尾三省訳「ラマナ・マハリシの教え」めるくまーる社より(8)


1 本当の師(グル・サットグル)の特徴はなんでしょうか?

自己の内にしっかりと定住していること、
すべての事柄を平等の目で見ること、

いつでもどこでも、そしてどんな環境にあっても、
揺るぎない勇気を持っていること、などである。


2 最も熱心な弟子(サットシシャ)の特徴はどんなものでしょうか?

悲しみをぬぐい去って歓喜に至ることを激しく願い、
すべての種類の世俗の楽しみを激しく捨て去った者である。

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2016年12月15日 (木) | Edit |
J・クリシュナムルティ 中川吉晴訳「瞑 想」星雲社より(7)


瞑想的な心がうまれる土壌は

日常の生活のなかにあります

そこには

争いがあり

苦痛があり

つかのまの喜びがあります

瞑想は そこではじめられなくてはなりません

そこに秩序をもたらし

そこから果てしなく動いていかなくてはならないのです


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テーマ:哲学/倫理学
ジャンル:学問・文化・芸術
2016年11月15日 (火) | Edit |
J・クリシュナムルティ 中川吉晴訳「瞑 想」星雲社より(6)


瞑想とは

愛がはたらくことです

それは

ひとりの人にたいする愛ではなく

たくさんの人にたいする愛でもありません

それは

だれもが どんな瓶からでも のむことのできる

水のようなものです


瓶が黄金でできていようと

陶器でできていようと

かまいません

それは尽きることがありません


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