2017年07月15日 (土) | Edit |
こんにちわ。みなさんお元気ですか。
私(ろくろく)は今、音声入力によって文章を書いています。
まだ始めたばかりなので、思うようにいかないことが多いですが
慣れたら、これは必須のアイテムになりそうです。

タイピングの文章と違って、話し言葉が文章になるのは今までとは
違った表現ができたりして、とてもエキサイティングです。

今日は「甘酒」についての覚書きを音声入力してみたいと思います。
(音声入力の練習です。(⌒∇⌒))

甘酒は冬の飲み物という印象がありますが、
江戸時代までは夏の飲み物だったそうです。
夏バテ防止用の栄養ドリンクとして各家庭で作られていたといいます。

甘酒には二種類あって、一つは酒粕に水と砂糖を加えて作るもの。
もう一つは米麹でつくるものの二つです。

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2017年06月15日 (木) | Edit |
J・クリシュナムルティ 中川吉晴訳「瞑 想」星雲社より(13)



To meditate

is to be innocent of time.

瞑想するということは

時間にたいして

無垢になることです

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2017年05月15日 (月) | Edit |
J・クリシュナムルティ 中川吉晴訳「瞑 想」星雲社より(12)



わたしたちは

耳を傾けることが ほとんどありません

犬が吠える声に

子どもが泣く声に

通りすがりのひとが笑う声に……

わたしたちは

あらゆるものから 自分を切り離し

その孤立したところから

ものごとを見たり 聞いたりしています
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2017年04月19日 (水) | Edit |
J・クリシュナムルティ 中川吉晴訳「瞑 想」星雲社より(11)



幸せや快楽は

それなりの支払いをすれば

どんな場所でも買うことができます

しかし

至福を買いもとめることはできません

自分自身のためにも

ほかの誰かのためにも……
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2017年04月01日 (土) | Edit |
ラマナ・マハリシ著 山尾三省訳「ラマナ・マハリシの教え」めるくまーる社より(11)


⑤ジュニャーナ――ディヤーナあるいは問いかけの道(ヴィチャーラ)
の実践を絶えず続けることにより、心が自己の姿に帰し、その働きが
なくなってしまうことである。

心が絶えてしまうとは、あらゆる努力がいらなくなった状態を言う。
この状態に確立された人たちは、けっしてこの真実の状態から逃れ
ようとはしない。

「沈黙」(マウナ)という言葉と無行動という言葉は、
この状態に関してのみ使われる言葉である。
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2017年03月15日 (水) | Edit |
J・クリシュナムルティ 中川吉晴訳「瞑 想」星雲社より(10)


瞑想とは

なんという とほうもないものでしょう

もしわずかでも 思考を瞑想にしたがわせ

瞑想の型にはめようと努力するなら

わずらわしい重荷になってしまいます

静寂をえようと望むなら

その静寂は 輝きを失ってしまいます

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2017年03月01日 (水) | Edit |
ラマナ・マハリシ著 山尾三省訳「ラマナ・マハリシの教え」めるくまーる社より(10)


1 どんな実践方法があるのでしょうか?


自己実現に達しようとする人の自己は、
彼自身と異なったものではない。

それは、彼によって到達されるはずの
彼よりすぐれたものであるわけがない。

自己実現とは、ただその人自身の本性を
実現することなのだから、

解脱を求める人は、一過性のものと永遠
のものをはっきり見分けることによって、

またけっして自身の本来の姿から逃げ出さ
ないことによって、疑う余地なく例外なく、
自分の本性を実現できる。


これが、知識の実践として知られていることである。
これが、自己実現に導く探究である。

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2017年02月15日 (水) | Edit |
J・クリシュナムルティ 中川吉晴訳「瞑 想」星雲社より(9)


あなたが

瞑想をしようとこころみるなら

それは瞑想ではなくなってしまうでしょう

あなたが善良であろうとするなら

善はけっして花ひらくことはないでしょう

あなたが謙虚さを身につけようとするなら

それはなくなってしまうでしょう

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2017年02月01日 (水) | Edit |
ラマナ・マハリシ著 山尾三省訳「ラマナ・マハリシの教え」めるくまーる社より(9)


7 真実のグルの本性は、至高の主の本性であると言われて
いるのは、どのような意味なのでしょうか?

真実の知識の状態、あるいは神(イシュワラ)に至らんと願い、
つねに信仰に励んでいる人にとっては、その信仰が熟すと、
その人の内なる証人であり、その人自身と等しいものである
主がお現れになる。

主は、その弟子に祝福を与えんがために、慈悲深くも人間の姿
と名を帯びて現れ、主の三つの自然性であるサット-チット-
アーナンダ(存在-意識-至福)の助けを借りて、その人をして
彼自身の内に溶けこませるのである。

この原理によれば、グルは真実、主と呼ばれうるものである。

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2017年01月15日 (日) | Edit |
J・クリシュナムルティ 中川吉晴訳「瞑 想」星雲社より(8)


瞑想は

日常生活とはべつの何かではありません

部屋の隅にいって

10分間 瞑想をし

そこからでてきて肉屋にもどる

というようなものではありません

これは

比喩として言っているのではなく

実際にそうなのです


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